1号、軽度知的障害の手帳を持っている。
いらなくなったら返せばいいし、もってて邪魔ではないだろう、と思って申請し、
当時の療育の先生には、「取れないから、受けるのは無駄じゃないか」というアドバイスをもらいつつ、
結局、試験により無事いただきました。
数回更新時には、(ひょっとしたら今回は、取れないかも)と思いつつも、
1号が、知らない人と長時間同室で逃れられないことがイヤだとか、
テストされるのがうんと嫌いなせいもあり、テストの結果も 微妙に療育手帳がもらえるラインに収まっている。
あるいはそれ(テストに出るよりも実際は軽いと 思う ことが)が親の欲目というヤツで。
きのう、1と、ゆっくり二人で話していると
1「おじいちゃんは、耳が聞こえないよね。それは障害?お父さんも、たまに聞こえないみたいだけど、障害?」
「そうね、おじいちゃんは、まったく聞こえないので、障害って言っていいだろうね。手帳とかも、取れるんじゃないかな?よくわからないけど。もっと重くないと、取れないかな。お父さんは、聞こえにくいけど、障害というほどではないよ」
1「俺も手帳あるよね。何の障害で持ってるの?」
「そうねー、手帳を最初にもらったときは、いまの2号と同じ年よね。
あのころ、あんたはしゃべれてたと思う?」
1「しゃべれた」
「少ししゃべってたけど、幼稚園で何があったとか、こういう気持ちだった、これが困ってる、という風には、しゃべれなかったよね。
それで意地悪されたり、逆にあんたが先生を噛んだりしたこともあったね。それで、助けがいるから手帳をもらったの。」
1「今はもう、噛まないし、話もできるよ」
「うん、今は噛まない。
話すのが難しいと、人に助けてもらうことが多いよね。
この人は助けてあげてください、というのがあの手帳よ。
もし、今度、テストを受けて更新するときに、もう手帳はいらなそうということになったら、返さなくっちゃいけないね。あってもなくてもどっちでも、いいからね」
1「俺、テスト受けてないよ?」
「ううん、受けてるよ。知らないお姉さんと、白いお部屋にはいって、いろいろ聞かれるでしょ。
”今日はどうやってここに来ましたか?”とか。
で、もし二号なら、”お母さんと弟と、○番バスに乗って、○で乗り換えて、そこから、歩いてきました”
って言うよね。
でもあんたは、”オレはジャイアン!”みたいな、全然関係ない話をするでしょ。
それは、質問がわからないから答えていない、か、答えがわからないから答えない と思われてるのよ。
そういうのが、テストなの。ほかにも、積み木のテストとかあるでしょ。
あんたは、先生が、これと同じに並べてください、といっても、好きなように並べて、”その積み木、もらえるんですか”って言うよね。先生が質問すると、”もう帰りたいです”とか言ってるね。質問には、答えてないでしょう。」
1「今度は、答える、次の更新は、○年の○月よね」
「うん。もう、いらないってなるのかもね。でも、手帳がない人だって、
不安が強い人や、人がたくさんいると、疲れすぎて学校にいけなくなる人もいるよね?」
1「○君とか、そうね。どこも障害がない(ように見える)のにね」
「だから、手帳がなくても助けが要る人もいるからね。もらえるならもらったほうがいいと思って、持ってるのよ」
1「うん、わかった。僕も二号のようになる」
「いや、それは違う。わたしはあんたが良いのであって、二号になればいいとは思わないよ。
あんたには、ほかの人がまねしようと思ってもできない、よさがあるのよ。
だからあんたも、二号のようにならなくっちゃ、と思う必要はないけど、わかる?
しゃべれたほうが便利だ、と思えば、そこだけ練習すれば良い。あなたに二号になれとは いってないから、それは覚えておいてね」
1「そう、ぼくはね、ちょっと愛されやすいことがある。僕が知らない友達も、”おっ、1くん!”って言ってくれる。」
「全員に愛されるのはムリだけど。
嫌われたり、好かれたりね。それでいいんだと思うよ」