二号、お金に執着中


1号に、お手伝いしたら お駄賃10円を上げるようにしていた。

お金を稼ぐことの入り口、欲しいものを買うときの計算に役立つように、

とはじめたことだった。

お手伝いしても 1号はお金を請求しない。
その代わり お金を大事にしまったり数えることもない。
上げた分だけ 受け取って、払うときも 言われるまま払うだけ。


が、それを言ったら、
担任の先生は、「それ(お駄賃制)はいけませんねえ」といわれた。

((なんで??悪いことはひとつもないのに))、と 不服に 思ったけれども。

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最近、その言葉の意味を思い知ることになる。

二号が執着するのだ、お金に。

あるとき、1号がすごく重いごみを 一人で全部出してくれたので、
20円上げた。

1号は特段嬉しそうでもなく普通に受け取っていた。

それをみた二号が、
「私も二つほしい。」しつこい。
理由を説明しても納得しない。

私の財布に入ってるお札を「紙のお金、私も欲しい」と、非常に欲しがる。
(→紙でお金を作ってごまかした)

また、おじに、お年玉を「お母さんにあずけるんだよ」といっていただいたときも、
不満そうに 私にくれたが、

「紙のお金を お母さんが取って返してくれない、わたしのなのに」としつこい。


どうもこれはいけないと、大説教になった。
「あんたは10円上げたら20円欲しいといい、
20円もらっても、1000円が欲しいという。

大きなお金をもつというのは キケンなんだよ。まだ早い。」

お駄賃制は小学校にはいるまで廃止すること、
お駄賃が欲しいがためのお手伝いならしなくていいということ、
どうしてもお駄賃がいるなら 私も食事をつくるたびに、お金をもらうわよ、
家族は できることは自分でして、みんなの仕事は、分け合うのが当然、

というのをとっくりと聞かされた二号、

なみだをハラハラと流してくやしがった。

ので、預金通帳を見せた。
「わたしが あんたのお金をとってるわけじゃない。」と。

それでやっと納得した。

私もやっと先生の言葉に納得した。同じことでも、子供や時期によっては害になることがあるんだなっと。



私はずっと、障害がある子のほうが 育てるのが大変なはずだ、
二号は 1号に比べたら、なんでもすぐに飲み込むし、適応力もあるから、
ちょろいもんだ、と思い込んでいるのだけれども、

一概に、そうでもないな〜と思うようになってきた。

障害あるなしというより個性が違うのだなあと。