主体的に・協調も大事

主体的に生きる。

この辺が ここ10年ほど わたしのテーマでした。
(一応、完了形)

1号が一人っ子だった頃、何もかもがうまく行かず、
結婚で辞めたので、仕事もなく、友達もなく、挨拶する人すら居ない、
だんなは会社から帰ったらテレビどっぷり、義母は会うたび無理難題。

「周りに振り回されてばっかり、
これは、だんなと別れればすべて解決するはず。結婚が悪かった」

と思い込んでいた。

じゃあ、資格でも取っておこうと思い勉強した。

いやな顔をするだろう、と思っていただんなも、
案外、試験の間子どもを見てくれたり、
合格したときは、別の関連の資格も勧めてくれた。

「空いた時間に勉強して、ある程度 自分の人生をコントロールできるって
恵まれてると思うよ」と彼は言った。
「お袋にグダグダいわれても気にすんな、俺はいいって言ってるんだから」



義母が、だんなに、
親戚がどうの、ご近所さんがどうの、家族が思い通りにならない、
(たぶん私に対しても、思い通りの嫁ではないということに 言いたいことがいっぱいあったと思います)
と言い募るとき、だんなは、

「おふくろ、もっと自立しないと」

というのだった。



んー、今思うと、私もそうで、

じぶんが、主体性をもっていなかったから、
だんなに言われた、義母に言われた、あれもないこれもない、あれもこれも出来ない、誰かのせいで!
と悩んでいたんだなと思う。


アメリカでそこらへんに気がついた。
「で、あなたはどうしたいの?」と聞いてもらっても、何にもなかったからだ。

二人の子供をみていると、

1号は、主体性はあって「あれをしたい」「ではどうすればいいか」と考えることが出来る。協調性は、、、勉強中。むやみに譲りすぎたり。

2号は、その場の流れに上手く乗れることはいいと思う。
でも、共感したい、協調したいばかりで、
主体性が薄い。「主体性なんていらないわ、私はこれでいいの。」
と思えるならそれもよし。でも、主体的にやってる人に 文句ばかり言うのである。
「じゃあ ”あんたは”どうしたいの」と聞かれると黙るか。泣く。


自分は自分、という独立したものと、
それを持ちつつ、周りとの折り合いもつけていく、
どっちもある程度必要だと思います。
だから言葉やコミュニケーションが大事。

アメリカでは オムツ姿のちびちゃんにも そこらへんを教えていたと思います。

もちろん これからのわたしは、協調性が努力課題、です。