前から 少し考えていたことなんだけど ちゃんと書けるかどうか。
1,2年前かな。
中学生の一人娘を いじめが原因の自殺で亡くしたお父さんがテレビのインタビューに答えられていて。
「娘は、勉強もスポーツもでき、クラスでもリーダーシップをとっていました。
くよくよ悩む子でもなかった。弱音もはかないし、
自殺する前日に、泣きながらなにか部活でのトラブルを母親に訴えていたが、そんなことはとてもめずらしかった。
私は、娘に、人格者になってほしかった。そして娘はそういう子でしたから。よっぽどのいじめがあったんだと思います。」
娘さんを亡くされるなんて、親として一番つらいことだと思う。
が、どうしても、『人格者であれ』
と求められ、それを守るために死んでしまったお嬢さん
(まだ中学生の)やっと訴えたのに
お嬢さんから見て誰も助けになれなかった
のが気の毒でならない。
もちろん、お嬢さんにいじめをした行為が一番間違っていると思う。
でも、でも。
勉強が出来るから、スポーツが出来るから、
人格者だから…愛してもらえる、
弱音を吐き、助けを求めても守ってはもらえない、
私自身はどうでもいいのか
と思った(本当に思ったかどうかはもちろん私にはわからないけど)ときの絶望が気の毒でならない。