感情を「共有」できないが「理解」はできるらしい


自閉症関連の本に、マインドブラインドネスという言葉が出てきた。

詳細は違うかもしれないが こうだ。

はこのなかに、Aちゃんが人形を隠す。
Bちゃんが、その人形を、ベッドの下に隠す。
Aちゃんがもどってきて、どこを探すでしょう?

一年ほど前、1号は、「ベッドの下にあるよ」という、自閉症児の見本の答えをくれた。
答え(人形のありか)はそうなんだ。
でも、「Aちゃんは、人形がどこにあると思ってるか」という質問なのに。



また別に、眼の見えない子に、
「お母さんにその写真を見せて」というと、ちゃんと、相手に向けてくれるらしい。
自分は見えないのだけど、「見えるということが相手にとってどういうこと」を知ってるらしい。

つまりこういうことから、自閉症はMind blindnessという言葉で説明できる、知的障害のある子とはここが違う、ということだった。

確かにそうだなと思う。
自閉症児が よくするという、「裏返しバイバイ(自分から見て手のひらが見えるから、本人にとってはこれが正解)」とおなじだ。
(1号はしなかった)

心の視力がないか、きわめて弱い。それは「能力が欠けてる」のであって、
心がないとか、思いやりがないということではない。

視力が欠けてる人が、耳や手で補うように、
自閉症の人も、合理性や経験を引き出してきて、
当てはめようとはする。(と思う)

一時期、1号が二号にマッサージをしたがることがあった。
二号はいやで逃げる。でも1号はわからない。マッサージしてもらうのが好きで、自分が好きだから二号もすきと決め付けているんだ。
ギャーギャーないてるのにである。

「1号はマッサージ好きだけど、二号から見たら怖いのよ」

と繰り返し繰り返し言って、あるとき納得したのかぴたっとやんだ。

それから、「ライオンから見たら、きりんはえさだが
キリンから見たらライオンは怖い」と得意げに言うようになった。

友達に意地悪(本人は意地悪と思ってない)をしたときにも、
「面白いのに〜」というから、
「あなたは楽しいけど、●くんから見たらいやなのよ」
といったらしぶしぶだけどわかったようだ。