私は 子どものころ、ひどいいじめをしたことも多いし、
いじめられたこともある。
それで思うんだけども
「いじめは間違っています
人間として、恥ずかしいことです。
いじめる人は、いじめをやめない限り、その集団には 属せません。」
というのは「教えないとわからんものです」
教えてもわからん かもしれないけど
だからといって ほっといていいもの ではないと思う。
いじめるほうにこそ教育が必要。
いじめられるほうにも教育は必要。
ひとりのひとが、どっちにもなりえるのだから。
全員に 教育が必要。
つまりだれにとっても 他人事ではない。
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「いじめはどこにでもある、子供のときに鍛えられておかないと
世間に出たときくじける」
という論調に対してトライしてみます。
いじめに沢山あった人は強くなって、跳ね返せるようになるか??
多くのの人にとって、こたえはNo だとおもいます。
くりかえしとか、ひどくとか、いじめられた人は かえって 傷つきやすく 被害妄想を持ちやすく、
普通のことにも、びくびくするようになると思う。
いじめはどこにでもある、それは事実かも知れない。
でも、それがどこにでもある=正しい、ではありません。
私は、いじめというのはウンチを人にぶつけるようなものだと思う。
(知り合いの近所の人が 比ゆでなく、実際この被害にあったようです。)
人間だから とうぜん、排泄はする。(悪い感情と言うのは誰でも持ってる。)
でもそれを、人の家の前とか、人に投げつけてぶつけたりは「しない」のも
人間としてのマナーでしょ。
私が小さいころは、結構 道路に ごみのポイ捨てとかあったけど、今のほうが少ない気がする。
マナーも発達して行くと思う。
いじめるって言うのは、自分のいらいらや、もやもやを、人にぶつける、行為です。
ウンチ投げてるのと同じ。
どうやって包むのか、どうやって処理すれば迷惑にもならないのか、を学べばよい。
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「いじめられるほうにも問題がある(〜が出来ない、だからいじめられても仕方がない)」という論調にトライしてみます。
問題がある=いじめられていい、いじめられてもしょうがない、という論理に
飛躍があると思う。
だれだっていくつも問題を持っている。
それを いじめたり ほじったり 人格まで否定したりすることに
何の意味がある?
もし、問題がある人はいじめていい、それが正しいなら、
人間は最強の人一人を除いて、全員存在できなくなるでしょう。
いじめるほうも、もっと強い人にいじめられるはず。
いつ自分もやられるか、びくびくしてすごさざるをえない。
ならば、
「いじめるのは間違いだ」をルールにしたほうが、みなが安心できる。
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どーでしょうか。
びくびくしたお子さんをもつ親御さんが、
「この子は 〜だから、いじめられやすいの。
でも 今から慣れておかないと 社会にでたとき困るし、ね」
といわれるのを聞くとぞっとする。
「だれだっていじめられるのはイヤだよ。
されたとき、イヤだっていえてる?」
と聞くと、
「うーん、笑ってるからイヤでもないんじゃない?イヤだともいわないし」
この子は いじめられてもしょうがなくて、それを一生耐えろというんだろうか?
どっかで爆発するか、自分に向けて壊れてしまうと思うんだけど、、、