手話、点字

うちの電子レンジのボタンには、点字のぽつぽつがついている。

駅の切符売り場のぽつぽつや 点字ブロックにも、

子どもらが、「これなーに」「なんで」
というので、「これは目が見えにくい人が、触って読むの、、」と説明してきた。


1号が、「あ、という字を ぽつぽつでかくの?」

と聞くので、

たぶん違う、と思い、
「それじゃ点が多すぎて大変だから、
もっと少ない点で、ぽつぽつの並び方で アイウエオが決まってるんだよ、たぶん。
それを憶えてるんじゃないかな」

「俺、点字覚えようかな」というので、パソコンで調べてみたり。

「じゃあこの丸々を俺が書けば、目の見えない人に見えるんだね」

という。いやいや、だから違うって。

見えないんだってば。見えてるなら点(でこぼこ)にする必要ないし、、、。

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話はそれますが、目の見えない子どもに、「それ見せて」というと、
こっちに向かって見えるように見せてくれるらしい。
自分は目が見えないのに、「見えるとは たぶん、こんなことだろう」ということは想像できるわけですね。

ところが自閉症児だと、
「見えないとは」ということが、想像できないんでしょうね。

そこが、心の弱視、といわれる点だと。

「それ、見せて」というと 自分のほうにむけて!見せたりするんですね。
(相手から見て 見えるようにはしてくれなかったり)


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手話

学校(普通小学校)でも、歌の途中に手話が入ったものをしてるらしい。



「へえ。どんなの?やってみて」

というと、自信なさそうに、

「友達に、なりましょう」の意味の手話だよ、と言って見せてくれた。

「手話がわかる人がいたら 通じて、ともだちになれるかもしれないね」といったら嬉しそうにしていた。


「1号は、手話で話してる人、みたことある?」ときいたら、

「うん、、、あるよ、、、3年前に、、、おばあちゃんと、、、
ジュースを飲んでるときに、、、横の机にいた人たちが 手で話してた」

当時、無表情で見てたけど、憶えてるんだなあ。

手が活発に動き、わらい、すごく楽しそうに話してた。


そのとき義母は、「ああいう人たち、こっちには なにいってるか、わからないから
自分のことを、コソコソ言われたり、笑われてるような気がして、不愉快だ」
と いったのだ。

ちょっと待って、、、それは耳が聞こえない人なら、日常的に、そういう不自由(口で話されてるのがわかりにくい、自分のいうことも伝わりにくい)を持って
同じ世界に生きてるんだよ、、、
なんで手話を 一方的に、「不愉快」といえる?

そういう考えや態度(実際 すぐそばで、口に出して言ってる訳で、唇が読める人や、言ってる表情からは、自分が悪く言われてることはわかるでしょう)のほうが不愉快なんですが。


見えてるのに、聞こえてるのに、知的なハンディも無いのに、
理解しようとする気が、ないというのだったら、

見えてる、聞こえてる、理解できる 能力の 甲斐が無く もったいないことだ、と思う。