うちの電子レンジのボタンには、点字のぽつぽつがついている。
駅の切符売り場のぽつぽつや 点字ブロックにも、
子どもらが、「これなーに」「なんで」
というので、「これは目が見えにくい人が、触って読むの、、」と説明してきた。
1号が、「あ、という字を ぽつぽつでかくの?」
と聞くので、
たぶん違う、と思い、
「それじゃ点が多すぎて大変だから、
もっと少ない点で、ぽつぽつの並び方で アイウエオが決まってるんだよ、たぶん。
それを憶えてるんじゃないかな」
「俺、点字覚えようかな」というので、パソコンで調べてみたり。
「じゃあこの丸々を俺が書けば、目の見えない人に見えるんだね」
という。いやいや、だから違うって。
見えないんだってば。見えてるなら点(でこぼこ)にする必要ないし、、、。
********
話はそれますが、目の見えない子どもに、「それ見せて」というと、
こっちに向かって見えるように見せてくれるらしい。
自分は目が見えないのに、「見えるとは たぶん、こんなことだろう」ということは想像できるわけですね。
ところが自閉症児だと、
「見えないとは」ということが、想像できないんでしょうね。
そこが、心の弱視、といわれる点だと。
「それ、見せて」というと 自分のほうにむけて!見せたりするんですね。
(相手から見て 見えるようにはしてくれなかったり)
***************************
手話
学校(普通小学校)でも、歌の途中に手話が入ったものをしてるらしい。
「へえ。どんなの?やってみて」
というと、自信なさそうに、
「友達に、なりましょう」の意味の手話だよ、と言って見せてくれた。
「手話がわかる人がいたら 通じて、ともだちになれるかもしれないね」といったら嬉しそうにしていた。
「1号は、手話で話してる人、みたことある?」ときいたら、
「うん、、、あるよ、、、3年前に、、、おばあちゃんと、、、
ジュースを飲んでるときに、、、横の机にいた人たちが 手で話してた」
当時、無表情で見てたけど、憶えてるんだなあ。
手が活発に動き、わらい、すごく楽しそうに話してた。
そのとき義母は、「ああいう人たち、こっちには なにいってるか、わからないから
自分のことを、コソコソ言われたり、笑われてるような気がして、不愉快だ」
と いったのだ。
ちょっと待って、、、それは耳が聞こえない人なら、日常的に、そういう不自由(口で話されてるのがわかりにくい、自分のいうことも伝わりにくい)を持って
同じ世界に生きてるんだよ、、、
なんで手話を 一方的に、「不愉快」といえる?
そういう考えや態度(実際 すぐそばで、口に出して言ってる訳で、唇が読める人や、言ってる表情からは、自分が悪く言われてることはわかるでしょう)のほうが不愉快なんですが。
見えてるのに、聞こえてるのに、知的なハンディも無いのに、
理解しようとする気が、ないというのだったら、
見えてる、聞こえてる、理解できる 能力の 甲斐が無く もったいないことだ、と思う。