障害があることで、「普通の世界から隔離されたかもしれない、もう戻れない」と強く感じた。
それが1号が幼稚園のときで、幼稚園はやめてしまった。
当時1号は、ほかの子どもから暴力を受けることはあっても、
自分からすることはなかったのに、幼稚園をやめた。
はっきり言うと、排除されたと思っている。
ほかにも、弱い子達は いけなくなって、幼稚園をやめていった。
先生方の、「これが普通」の範疇に入らない子は邪魔なのだ。
それを子どもも、その場のルールだと思い、弱い子をいじめていく。
私は、排除排除に向かう場に未来はないと思う。
「現在」だってないはずだ。
先生一人ひとりに聞いてみたい。
これで正しい、心からよい場所を作っている、と思っているんですか?
と。
でも、もういい。
それぞれだから。
そんな場所に子どもを一日だって置いておきたくない。
(当時は、「すみません、こんな子ですが
おかせてくださいませ」とおもっていたけど、)
今、障害のない子だって そこに入れたいとは思わない。
*******************
今、障害児学級にいるんだけど、
絶えずほかの子を叩いて回る子、奇声を出す子、寝転んで駄々をこねる子、失礼な発言ばっかりする子、満載である。
もちろん、ナイーヴでおとなしくて、ひっそりした子、優しくて思いやりと気遣いにあふれた子、繊細すぎて自分がつらくなってしまう子もいる。
叩くのは平気だけど、叩かれると泣き崩れる子もいる。
************************
この 個性の濃い集まりでさえ、暴力を振るう子は排除という声がある。
私は、「暴力」は駄目だと思う。
でも、振るう「子」を排除すればすむ、というのはまた違う気がする。
かばってるわけではなくて、何かを排除排除していくと、何も残らないか、排除するされるの
ぴりぴりしか残らない。一番暴力的な子を隔離していなくなった。ああ、安心。
でも、二番目に暴力的な子がまだいるじゃない、、、。
****************
あの子は暴力を振るうことが多い。
では、どうすれば振るわずにすむのか、
振るわなかったときに成長を喜び合えるのか、
ナイーヴな子達をどう守るか、
いろんな課題を 自分には関係がない課題でも、みんなで分け合って背負うしかないような気がする。