20歳のとき


私が20歳のとき、私の憧れのおばが 「身内で食事するんだけど あなたもどう」、と、
食事に呼んでくれた。

当時私は貧乏学生でひとりぐらし。

しかも気の利かない子(子ども、といえない年齢か)だったので、
あらゆる誘いはまず断るし、なぜ どういう風の吹き回しで、そういう、知り合いが一人しかいない集まりにいったのかわからない。


おばの義父が、赤ちゃんを抱っこしていた。

おばの義父、というと 血のつながりもなく、会ったのはこれっきり。

何を食べたとか、誰がいたとか、詳細は憶えていないんだけど、
このおばの義父だけは時折思い出す。

赤ちゃんを見ながら、私に向かって、

「赤ちゃんって、どこがイチバンかわいいかねえ。」と聞かれて、

「どこもかしこもかわいいですねえ。太ももですかねえ」

と答えたら、


「いやあ、この手をみてごらん。この手の甲のへこみ、これがイチバンだなあ」

とおっしゃった。

赤ちゃんって、大人のゆび一本をつかむのに、手全部を使うんですね。
その様子がかわいくて二人してじいっと眺めました。

今思い返し、「20歳なら夕食の手伝いでも申し出ないとは気が利かない子だ」と恥ずかしいけど。また、そのとき「20歳おめでとう」とおばにもらったネックレスもどこになくしたっけ、と思い出したりするけど。


私の祖父は、どちらも、孫は20人以上いるし、たまにあっても
「誰の何番目じゃ(つまり、親は誰と誰で、そこの何番目の子ですといわなければならない)」と自己紹介し続けなければ、名前もわからんみたいな状態だったので、
こういう風に しみじみと赤ちゃんをかわいげに見つめられるおじいさんを見たことがなく、新鮮だった。

子どもが生まれるたび、赤ちゃんを見るたび、「ああ、かわいい あのへこみだ」と、時折思い出す。


数年前に亡くなられたと聞いたけれど、
(亡くなられるときに、ちゃんと、赤ちゃんの手の甲のへこみを思い出されたならいいのだけれど)
と思う。

私も、自分が死ぬときは、
きっと、赤ちゃんの手の甲のへこみ を思い出すことを 忘れないようにしたい。