記憶の食い違い

お正月、おとそをのみながら 義母が言った。

「年は行ってるけど、3人も授かってよかったわね。

一人目の後、二人目ができないといって、悩んだのがうそみたいね。

近所の人に、ずいぶん、「二人目まだなの?」って、言われたんだって?

○(だんな)に内緒で 産婦人科に行ったんでしょ?
治療がつらいって言うから、かわいそうで、もう辞めなさいって私、言ったのよ、

今だからいえるけど!よかったわね!4人目も産むの?」


もう忘れてる昔のことだったけど、言われて思い出した。

私は あまりにびっくりして、義母を正視出来ず、その日はもうしゃべらなかった。

ま、もともと、必要意外、しゃべらないんだけどね。

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私側の記憶:

結婚直後の「子どもまだ?」攻撃はすごかったが、
一人産んでほっとした。



1号が 1歳の誕生日をすぎたころ、義母の「二人目攻撃」は はじまった。


「一人じゃかわいそう、あなたは楽したいんだろうけど」

「私、二人目は絶対女の子がいいな!」

「○さんとこも生まれた、●さんとこなんて3人目、あなたより結婚が後だったのに!」



そんなに欲しいの?

じゃああなたが産めば??といつも思いつつ、あいまいに笑っていた。

とにかく、二人目の話題しかない。だんなのいないときは(いるとだんなが怒るので)全部この話題。

「3人は産まなくちゃね!」という義母は、3人生んではいない。出来てできて困ったそうだが、贅沢できなくなるのがイヤで「産まなかった」と私に言った。
だから、「欲しくても出来ない」というのがわからないそうで。

なんか、すごい矛盾???



仕方なく、「実は私、生理がほとんどなくて、

自然には、生まれないだろうといわれたので、

一人授かっただけでも よかったなあと思ってるんです」

と話した。こんなことは言いたくない、特にこの人には。

でも、もうほっといて欲しい。


「じゃあ、病院行きなさいよ。

産ませるのが上手な病院もあるけど、作るのが上手な先生もいるから。

うちの近所だと●先生とか、、、」




それもずいぶん交わしたが、交わしきれなくなって産婦人科に行った。
いったけどダメだといえばあきらめるだろうと。


「二人目はまだ?」なんていう近所の人はいなくて、(子供がらみで近所の付き合いというものは増えるんだと思う。当時は1号は外に出たがらないし、転勤転勤で 知り合いもなかった。)
薬局で 近所の産婦人科の評判を聞いて。

お医者さんに、やっぱり出来にくそう、といわれて、生理を規則的に起こす薬、というのをもらって、
飲んだ。

猛烈に気分が悪くなり、1号の世話どころじゃなくなったので飲むのをやめた。


「治療はムリです。すみません。」とはっきり義母に言った。


そこからは、何を言われても気にしないことにした。

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二号は、義母から離れたアメリカで 思いがけず授かった子だ。

3番目が授かったときも、まあ年も年だし、安定するまで誰にも言わずにおこうと思ったら、

1号が 「お母さんは赤ちゃんがいるから吐き気で動けない」と
義母にしゃべってしまって、


「おめでとう」はなく、

「私は聞いてなかった!」といって、怒ったっけ。

自分の親にも言ってなかったんだけど。
まあいいや。


とにかく、私は義母とは日々疎遠になっていく。接するほどに、心が冷える相手なのだ。

だんなにそれはいえないし(だんなは 私に同じことを言うが、私からだんなには、立場的に、
同調してはいけないと思うので)、ここに書いてみた。



今日の教訓。

人の記憶というのは、主観によって作られる。
事実は関係ない。

もちろん、義母がらみの私の記憶も、義母に対する主観で形作られている。
だから、いやなことはなるべく頭から追い出し、聞こえないフリをしてる。

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1月8日追記。
昨日だんなが、
「俺 子ども3人欲しいとは思ってたけど、実際、1号一人っ子でも それはそれでいいと思ってたんだよ。
悩んでたなら俺に言ったらよかったのに。
お袋は、価値の基準が、何でも、世間と一緒じゃないとダメなんだよ。

オレは俺なりの幸せがあればいいんだからさ。」
といった。

うん,だんながそう思ってることはわかってるんだけど、

子供ができないことに悩んでる というよりは、
義母の圧力のほうが 重く私を悩ませましたとは、やっぱりだんなには言えないな。