親、先生と 自閉症のある子

1号については、今はとても落ち着いていて、
もっとも困難に感じたのは5歳です。

まあ環境的にもごたごた(海外から帰国、それまでも幼稚園にはいっていたけど、自由だったのに、
軍隊式の幼稚園にあわなかったし、2号も生まれ、私もなんだかごたごたしていた)していたので
そのせいも大きいと思うのですが、
大人(主に私)に依存しつつもひどく反発する
という時期でした。

幼稚園では「しつけが甘い」といわれるし、
親戚も 思い通りにならない 扱いにくい子というか 
「お母さんが神経質だから」
みたいな反応でした。甘いのかうるさすぎるのかどっちだよ。と思って私も八方塞でした。


幼稚園にまったくなじまないので、先生に、教育相談に行くように言われ、そこで「アスペルガー症候群に似ています、自閉症の親戚です」といわれ、
アスペルガーの子達はこういう行動をします…というのがことごとく1にも当たっていたので、(あ〜こういうこってほかにもいるんだ!)と
ショックもありましたし、イヤだなとも思いましたが
あるとき幼稚園で、「あなたのお子さん自閉症よね、うちの子もだからよくわかる、彼は苦しいと思うよ、あなたも苦しいと思う、自分もそうだったから。でも、今は彼のことを考えてあげて。ごめんなさいね、いきなり…」
とおっしゃってくださった方がいらして、その方の紹介で、
自閉症専門の療育施設にアドバイスを頂きに行きました。

そのときに、知らない場所では、建物にさえ入れない(ので私が無理に引っ張って入れるので悪循環)1号が、一目見て先生によっていきました。

そして「お母さんは帰る(お母さんは帰ってください)」と。
えっ?なんで?
先生も、しばらくは私と1号のかかわりを見たいとのことでしたが、1が私に寄り付かないので、「お母さんは帰っていいですよ」と。


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今になって思うのですが、彼は、自分のそのままを受け入れてくれる人に飢えていたんだと思います。

自閉症の専門のその先生は、
1号は1号という風にそのまま存在を尊重してくれた。
それは子供にもわかるんでしょう。

そうして安心すると、気持ちも安定するし、成長もしやすいのかなと思います。

ああ、こういう人が居てくれたら、1も学校に行けるんだな、と思い
いくつかの、小学校を見学に行きました。

そして、重度の障害があると思われる 言葉を発さないお子さんたちがまきつく先生を見つけ、
「ここがいい。この先生に1を見ていただけたら。」と決めました。

(残念ながら、その先生に担任してはいただけなかったのですが、
1は 4月にはさっさとその先生をみつけ、そのひざによじ登ってました。
そして先生は尋ねればズバッとアドバイスを下さった。
ほかの先生も、この先生に相談されたりした模様。)

先生いわく:

自閉症のある子達を、無理にこっちの世界に合わせさせようとしたらいけません。
こっちが、子供の世界にお邪魔していい?ってきかなくては。
その上で、「こっちの世界ではこういうルールがあるんだよ」って教える…」




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(小学校の先生についても、批評するのは僭越ですが、
反発をまねきがちな言動をなさる先生もいらっしゃると思います。
親が、(あっ、この先生とうちの子合わないな)と思ってしまうときもあります、親対先生でコミュニケーションがうまくいかないときもあります。
でも、そういう先生でも、その先生なりのいい部分があるんだな、私にはできないことをしてくださっているんだな、安易に非難できないな、というのも自分の発見でした。
子供には、「いろんな人がいるんだよ、この先生のこの意見は残念だったけど、そういう意見を持つ人もいるんだね」とか何とか説明しました。

1号が意地悪をされたときも、当時の担任の先生は、ひとしきり聞いて対処してくれたと思うのですが、
「もういいじゃない、終わったことだし、あなたはきにしすぎ。」
みたいな事を言われたらしいのですが、(1号は本当にしつこいのです)

1にとっては 話は終わっても、心配は 終わったことではなく、
影で意地悪をされているので、
本人としては困っていたようです。
結局、1号は 自分で、昼休みに ほかの先生に相談し、訴えて聞いてもらったようです。
(私が 聞いたのはもっとこじれた後 「僕は学校に行けない」と、1から聞いたのでした)

低学年のころは 子供同士の中に入るのが難しい子は、先生への関心(依存)の比重が大きいですが、
高学年になると、友達から学ぶことが本当に増えてきましたから、担任の先生とは合わなくとも学校は好き、という事態もありえると思いました。

模倣が苦手でその場にあわせにくい自閉症の傾向がある子でも、模倣やコミュニケーションが発達しないわけではないなと。困難や独自性を持ちつつも成長、適応していくんだなあと思っています。
すべてを自分の思うとおりに運びたがる先生よりも、個々のこどもの成長度合いをみて、うまく補助してくださる先生というのが 私はとてもありがたかったです。もちろん、親の意見もさまざまです。先生にもきっと、この親苦手というのがあるかも、と思うので おあいこ とも言えます。

親はあくまで子供がらみのことについては補助で(主役なのは自分自身の人生においてであれば十分)、
先生と協力させていただくことができればいいなと思います。

たまに見るし自分もやってしまったことがあるのですが、
親同士が(きっかけは子供のことですが子供たちが仲直りしても親同士が)こじれたり、親vs先生が対立してしまっては、いいことはなさそうに思います。
子供vs親になってしまっては、こじれるのと似ています。私が1号と対立しあっていたように。

対立ではなく並存、
同じ側に立って できることをしあう、しかないと私は思います。

これは私の人付き合いにもすごく訓練になったと思います。
対立せず、共存できるように支えあう。依存ではなく。)

というのが 私が、5歳から10歳まで1号を見てきて思ったことです。

彼が私をどう思ってるかはわかりませんが、
話もだいぶ通じるし、これはこういう理由でしてはいけないんだよ、などの実際的なことはよく聞いて守ってくれますが、
感情的には…すごく甘えて慕ってくれる時期もありましたが、
最近は なんとなく、私をうざったく感じているみたいです。

診断ですが、簡単な相談では「アスペルガー症候群に似ています」といわれたこともあり、
就学相談では、「アスペルガー症候群の子達はもっと言葉が達者です、1くんは、高機能の自閉症というほうが近いのでは?」といわれたこともありますが、この辺の線引きはあるんだか無いんだか。

医療機関でもらった正式な診断名としては「自閉性障害」ということでした。知的障害手帳は持っています(軽度)。

学習の進度は、内容をずいぶん減らして ほぼ、学年どおりのものをやっているみたいです。ただし、特殊学級は行事や共同作業や発表などが多いので、どうしても学習時間は少ないと思います。
子供の能力や情緒や、学校や先生の判断によりだと思いますが、1号は理科と社会はほとんどやっていません。「学習面を学年どおりというのは高学年では期待しないでほしい」と担任の先生から聞いています。(私も納得しています)

もし本人がやりたがり、生活時間にも余裕があれば、家庭でやればいいというのが私の考えですが(遊び友達がいるわけでもないし 習い事もしたがらないし)、1は 気が向いたときに好きな本を眺める程度で、じっくり読書も好きではない模様。音読も とてもいいから させたいのですが、読み違えたり、すぐ詰まるので、いやなようです。

彼に関して、無理に何かをさせて、よい結果であったことはあまり無いです…(運動会の組体操は、父親がスパルタで練習させ、きれいにできましたが これがたぶんゆいいつの成功例。)

学校では下の学年の子が、うちではしたの妹弟が楽しげにやってることに恐る恐る手を出す、というのが多いみたいな。

私はですが、学習は、本人の役に立つ部分(文字が読めると便利、日常の計算ができると行動範囲が広がる)か、役に立たなくても 知る楽しみが増えるくらいでいいと思います。

これは障害の無い子に関しても 私は勉強を無理強いさせるつもりはありません。疲れていて なきまくるときや、いやなときはいったんやめさせ、もうちょっとやりたいくらいでとめています。知りたい気持ちがあるのに、勉強を無理強いすることで大嫌いになるのはもったいないことです。

「何歳でこれができなきゃ困る」というレールからは (幸いなことに)すでに外れているんだし、大人になってからでも 必要とあれば学ぶ時間はたくさんあると思うので。

逆に、学校で 作業や集団生活をさせてもらえることや 友達(一方的に好きだというだけでも)がいるということのほうが 本当にありがたいです。