先日の「ねぎの値段を1号が知らなくてね」という話をある人にした。
その人は、昔から1号をよく知っており、
愛情篤く、何でもさばける(仕事の早い、気が利く)人だ。
1号に対しては、「自閉症だかなんだか知らんけど、1は1として接するからね」という人である。
「それ、レインマンにあったね。
ねぎの値段がわからなかったなんて、かわいそうに、、、」
といって目を赤くしている。
「いやいや、泣かなくていいから!
ちっともかわいそうじゃないって!
彼は 自分を幸せだと思ってるんだから」
といってみたが、
うーーん、確かにね、
みんなに備わってるものを 1が 持ってないから かわいそう、
といって思いやってくれる気持ちもありがたいので。
1号もよく、怒りっぽい人や、いらいらする人などを見ると、
「かわいそうに」
といったりするのだった。
歩けなくなった人などを見ても、後で家で、「○さん、かわいそう…」
といったりする。
かわいそう…という心を持ったりもたれたりというのは、そう強固に否定しなくてもいいと思う。
憐れまれるのがいや、という人もいるけど
かわいそうにと 眼を赤くしてくれる人の気持ちもありがたいかも、
と思ったのでした。