どうも、1号はこのところ荒れている。
それが、ものを投げるとか不機嫌とかそういう、わかりやすい荒れ方ではなく、
自分の作ってる物語の登場人物が 親戚を嫌う話をするとか、
キャラクターに 何か悪事をさせる話を何十回もするのだ…
(1号が、先生や親戚を嫌っている「のではない」のがまたややこしいところ。
むしろ好きで優しい人のことを悪く言わせるのだ。
こういうところは、ここ5年以上そのままだ。)
旦那がいると、おこられるのがわかっているので、1号は一切言わない。
「聞いて流してやらなくては、聞けるのはわたしだけだし」と思いつつ聞き流しているが、あまりにくどいので、
流していても、なんともやりきれない気持ちになる。
「あのね、作り話と、本当にいる人を混ぜないで。
そういう言い方をしても、1号の気持ちは、わかってもらえないよ。
不満や、不安があるなら、そのことにはっきり向かい合って、
自分は何がイヤなのか、何がストレスなのかを、言ったらいいんだよ。
”普通学級の体育にいくのがいや”なら、そういえばいいし、”式の練習のときに意地悪されるのがイヤ”なら、その通りに言えばいいわけ。
自分の心の中を見よ!それがあんたの成長なんよ。」
「俺は成長がイヤだ。このままでいい」
「いいよ、そのままでいるのも、ありだと思うよ。
でも、そのままの心で、体が30歳になっても、30歳の楽しみは、できないかもしれないけどね。
30歳で、今の3号のように、家の中で、ミニカーを両手にもっていて幸せだというのも「あり」だと思うよ。それはあんたの自由よ。」
「そういう人はいる?」
「いるよ。みにいく?」
「そういえば、(特殊学級の)○くんも、大きいのに、3号みたいな心。。。」
こういうとき、「それは障害というもので。。。あんたには 軽いけど、障害があるんよ」といえたらわたしはどんなに楽だろう。
言うべき??
いや、言ったら、何年も「障害」にこだわるんでは。。。?
わたしと1がしゃべっている間(二はとっくに寝ている)、
3号が、ゆかの敷物の中に、硬いミニカーをいくつも並べている。
1号が うろうろそわそわしながら、それを踏んで飛び上がる。
1号は怒りを抑えて、3を優しく諭す。
「これ、痛いから、ミニカーを敷物の下に入れたらだめだよ」
3「いれていいと!!」
1「お母さん、俺、3号の自己中が、いや。
わがままの3歳はいや、早く5歳とかに成長してほしい。。。」
俺は成長したくない。
弟は早く成長してほしい。
それは大いなる矛盾。
抜かれますよ。。。
1号「お母さん、そろそろ鬼に電話しよっか」
「うん。(自分ちの番号にかける)もしもし。。。ここに、3歳の。。。ええ、悪くて、お兄ちゃんに怪我をさせました。ミニカーを片付けないそうです。。。私のいうことも、お兄ちゃんの言うことも、聞きません。
おにの世界に連れて行かれるんですか。。。ええ、かわいそうですけど。。。
お願いします」
ちょうど、ドアがガチャガチャとなり、3号は、飛び上がって、「ぐわ〜〜〜ん!!!」
と泣き出す。
うまいタイミングで旦那が帰ってきた。
旦那はこういう状況は予測の範囲内らしい。
「鬼、外におった?」
「居ったけど、”きょうは、もうよか”って、帰りよったね〜〜
3は、またお母さんの言うこと、聞かんかったんやろ」
そうそう、わたしらも、現実と、フィクションを混ぜて
「現実を何とかしよう」としているのでした。ここにも矛盾が?