感動を分かちあいたかったらしい

学校で、年度末なので、
生徒も先生に歌を贈り、先生方も、歌ってくださるという集会があったらしい。

それが1号をえらく感動させたらしい。

帰ってくるなり、


「今日は大きいニュースがあるよ!

○○集会というのがあって、先生たちがほとんど全員で歌を歌ったと!

そのとき、感動して、

終わってから、いすを片付けるときも、心がもやもやして(←間違い、です)

となりにいた○くん(特別支援学級のクラスメイト、1号はこのこと一番仲がいい)に「ねえ、感動したよね!」

といったら、

「ん〜??」といって、反応がなくて、
わかってくれんかったと。「感動」の言葉の意味が通じてなかったかも。

そういうふうな、終わっているのに、心がもやもやしたのが続いているときのことは、なんと言うと?」


「うーーーん、モヤモヤ、ではないことは確かなんだけど。。。

”感動覚めやらぬ”?覚めやらぬ、なんて硬いのかな?

英語なら、Excited?」


しかし、歌を聴いて感動したと言い出したのはたぶん初めてで。
(ちなみにそのうたのCDは だんなが好きで、私がオークションで中古で買ったのが、家にあるんだけど、家で聞いてるときはなんとも思わなかったらしい)

自分の知ってる人たちが自分のために歌ってくれた
というのが、心を動かす体験をさせていただいたこともありがたいし、

そういうの(気持ち)を1が感じたというのも、とてもうれしい。

「友達と この感動を共有したい」と思ったことも驚きだし、

自分の気持ちも、人の気持ちもわからない感じの、
能面のようだったこの子がね。。。

と 私も感慨深いのだった。