個人的な考え

個人的に思うことで

広汎性発達障害という言葉でいいと思う
いろいろあるんだろうけど
要は、発達がばらついてるんでしょう

もうひとつ、Mind brindnessという言葉があるけど、
ぴったりしてると思う
心の視力が弱い
生まれつき、目が見えにくい人に、「根性で見えろ」とはいわないはず。
(いう人がいるなら、その人が間違っている)

見えないけど、大部分の人が了解してる 空気 が「ある」ということを
合理的にわかってもらうしかない

目が見えにくい人が 触ったり聞いたりなめたりするように
微分積分して教えていこう


最初に自閉性障害と聞いたときはショックだった
診断名を言おうとする先生をさえぎりまくったっけ

施設にいったり薬を飲んだり、病院に隔離され、出られなくなるイメージがあり

というのは表向きで、
正直に認めたら、差別心が自分にあったから ショックだったんだと思う

一年ほどいろんな本−−ヘレンケラー、目が見えない人の本、知的障害に肢体不自由、
障害と付くあらゆる本−−を読んで思った

ただ文化が違うんだ
違うものを比べられない
自閉症じゃない人が自閉症のひとより優れてるなんて言えない

わたしの子は異文化に住んでいて、
こちらの文化がわからずにいる
わたしがアメリカで英語が通じず、
アジア人だといって意味もなく嫌うひとがいたように
悪くないのに、自分をみじめに思ったように
なんだか不安でいつも「違うわよ」、と指摘されるばかりだったように
家から一歩も出たくない、電話が鳴るとびっくりしたように
そのうち電話が鳴ったら、「もしもし」と日本語で答えた
相手はセールスならすぐ切ってくれるし
わたしを知る人ならそのまま話してくれるからそれでよかった。
自分のうちなのに、「ハロー」と無理する必要はなかったのだ。

「堂々としてればいいんだ」

幸いアメリカでは、「差別は無教養で恥ずかしいこと」という認識があるようだった。
おかげで、わたしに みなと同じように接してくれる人はいい人ばかりだ、というわけだ。
恥ずかしい人とわざわざ付き合わなくてもいい、
あちらにも選ぶ権利があるし こちらにもあるのだ。

日本に帰ってきて、(やれやれ差別されることからおさらば)と思ったときに、
「障害を持つひとに対する差別世界」に入門したというわけ。

不思議なことにアメリカでは障害がある人へのあからさまな差別は感じなかった。
ちゃんと彼らは町にいましたよ。
「すみません(にっこり)私はこれができないから
よかったら手助けしてもらえます?」
「うちの子は耳が聞こえないから、あなたがいつも挨拶してくれるけど
何も言わないのはそのせいなの」
「私がんなの、でも冗談をいつも言うのはがんのせいじゃないわよ〜」

病気や障害があって「普通」の人たちがいっぱいいましたよ