言葉の教えかた

  
これはわたしがアメリカにいるときに、ほかのお母さんから習った方法。
アメリカ人はどうやら、子どもに 意識的に、言葉を教えてるようだ。
(そうみえただけかも)
一才にもならない赤ちゃんに、「あなたブランコ乗る?それとも砂で遊ぶ?」
「だー」
「そう、ブランコがいいのね:」とかいってるもの。
日本人も言うのかな?


☆オウム返しがある場合

おとな「何個食べる?」
こども「なんこたべる」
大人「一個?二個?」
子供「いっこにこ」

これでは おとなは 毎日毎回、軽い絶望を味わうし いらいらする。
でも!オウム返し推奨。オウム返しから言葉が通じる喜びをつかみ、言葉が増えると楽になることの第一歩。
おとな「これが一個、これが二個。どっちがいい?」
子ども「どっちがいい」といいつつ二個をとるだろう。ここで終わるひとがおおい、でも、おわらせたらもったいない。こっからが肝。

おとな「それは二個ね、」
こども「それはにこね」
おとな「そう、二個っていえたねー、すごいね、よかったね。
だから二個あげるね」

これで大成功なのだ。繰り返すうちに、こどもは「いっこにこ、それはにこね」といって二個のほうをとるようになるだろう。それで あっているのだ。
これが気が遠くなるくらい積み重なると、双方向に近づくと思う。

オウム返しでも、ちゃんと言うようになったら、
おとな「二個ください(っていって?というとそこまで復唱するのであえて言わない)」
こども「にこください」

二個ください、がいえるようになったら、
「いくつ?」と聞いたとき反射的に、「二個ください」が出てくる。
これでめでたく、いっけん双方向。

ウチのは 5,6歳までオウム返しのみ、現在は 「ぱっと見」、双方向の会話になった。でも、基本的にはわたしが教えたことをオウム返しして自分の言葉にしただけなのだ。本人が 自分で言ってることの意味をわかってないことも多い。
それでも、そのことで いろんな人の言葉を自分のものにし、
一方的になりがちだがいろんな話をして人を笑わせたり感心させたり、
マックで注文できたりしている。電話も取り次げる。そんなことには一生縁がないと思っていたけれど。オウム返し万歳なのだ。

とはいえ、まだたまに(プレッシャーを与えたときや、叱られ中にでる)
鏡のようにかえって来るオウム返し、いらいらしてしまうこともある。
先日とうとう、
おとな「ごみはすてて」
こども「ごみはすてて」
おとな「はさみははさみいれに入れて」
こども「はさみははさみいれにいれて」

おとな「…今あなたは、私が言ったことをそのまま言ってるよね」
こども「いってるよね」

おとな「それ、おうむがえしっていうんだよ」
こども「おうむがえし」
おとな「オウムはそのまま真似するの。」
こども「まねするの」

おとな「おうむがえしは、やめて」
こども「…わかった、やめる」「ぼくはおうむがえしやめる」「おうむがえし、やめる(ささやくようにいう)」(自分の発現にもオウム返しするタイプのエコラリアも、あるのです)

ちょっとかわいそうだし、わたしも感情をついぶつけて間違った、まずかったと思った。

最近は、やっとビデオを見るようになり、そこに出てきた会話を全部覚えて自分で使っている。それはそれでまずいこともいっぱいあった。続きは次回。