「普通のお子さんと」

こういうこと書いていいのかなあ〜と迷う部分もあるのですが、
個人的な考え、ということで。

自分のコドモに障害があって、

その自分の子供に、「なるべく普通の(障害のない)子と、かかわってほしい」、
とおっしゃる親御さんの話 を聞くことがある。

で、家に遊びにきてくれた子たちが、障害のある子をバカにしたり、
障害のある子は(ルールや複雑な会話などの)遊びに 加われないので
あからさまに邪魔にされることもあったり、 
そうでなくとも、自然と、部屋などに引っ込んで、一人遊び。
お母さんがそのこたちの相手をするんだそうです。

そして、自分の子供が遊べないってことにショックを受けたり、
そのこたちの質問や発言「なんで●くんって何にも出来ないの?」など、に傷ついたり、するんだそうです。それが何ヶ月も続くとお母さんも疲れる。らしい。


お母さんの気持ちはとりあえず置いといて、、、。


子どもさんたち自身はそれで楽しいとかうれしいとか、刺激を受けたりってあるんだろうか。

その辺を尋ねると、「え?子供?わからない、何にも言わないし。いやだともうれしいとも言わないよ」だそう。

((でも、いやがってはいないみたい、 とかは、わかるような気も、、、。))

それでもいいから来て欲しい、のなら これは「お母さんの友達」ということで接すればいいのではないかと。


うちにくるんなら、私は何でも飲み込んでがまんはしないかな。

コドモでも、言って欲しくないことを言われたら「えっ、なんで?」「失礼だよ」って説教たれてしまうだろうし、
家に上がりたいとか珍しいおもちゃを見たい(うちにはめずらしいモンなんて何にもないけど)って言うのはよくわかるけど、
「それだけ」、っていうのは寂しいもん、、、。

障害がある子どうしで遊ぶ場合、とはいっても、発達段階も、興味もばらばらなので、
一緒にいるからといって 完全に対等に遊べてるとか、かみ合った会話が出来るとかじゃないんだけれども、また大喧嘩になったり意地の張り合いとか、まったく別の部屋でぜんぜん違う遊びをしたりも良くみられるんだけれども、

「もうかえるの、、」「またきてね」「次はいつ来ていい?」「今度は泊まってね」といいあってたり、言葉はなくとも、顔なじみと一緒にいるのがいやではない、という感じがみれると、それはそれで 彼らにとってはすごく、大事なことなんだと思う。

私から見たら、こどもらが、一緒にいるだけでうれしかったりリラックスできるんだったら、そういう
機会は親の援助(送り迎え、時間の調整など、、、!)が要るんだけども
お勧めしたいんです。

楽しみが狭い子なら特に、、、。


でも、障害がある子同士の親御さんに、「遊びません?」って誘っても
なかなか うん とはいってもらえないし、(子供同士は明らかに遊びたがってる場合でも)

正直、「普通の子と遊ばせるってことに割く情熱」を
同じように障害がある子どうしに、向けてくれないのは(きっと、それほど価値がないって思われてるんだろうな)と、ちと寂しい、、、のです。