書いておく


ある おばあちゃんの話。

顔を見知ってるとはいえ、血のつながりもなければ、近所でもなく、
遠い遠い親戚。



私はひそかに、品があり はっきりしていて、まじめな、このおばあちゃんが好きでした。
1号も、この人のことは名前で呼んでいました。(おばあちゃん、というと、何人もおばあちゃんがいるので、違う、とかんしゃくを起こしていました)


1号をつれて、ぶらぶら歩いているとき、近くを通ったのですが、
声をかけていただいて、お邪魔しました。

「寒いでしょう、ストーブを出したいけど手が届かなくて」といわれたのを
代わりに出し、
自慢の畑を見せていただき、出来てるものをごっそり ベビーカーの後ろかごに持たせていただいたことがあります。

話しながら抜いて、いつの間にか、きれいに洗って束ねてあった大根の葉など。


おばあちゃんは、息子夫婦と住んでいましたが、
息子夫婦はおばあちゃんに冷たかった。

夫婦共働きでしたから、主婦はおばあちゃんで、
孫たちは おばあちゃんにとてもなついていましたが、大きくなってみな家を出ています。
嫁いだ娘もいましたが、「おばあちゃんが内孫をかわいがる=自分の子と差別する。
自分とお兄ちゃんも平等じゃなかった」とよく言っていました。

おばあちゃんは自分のお金でみなを旅行や食事に連れて行ってくれることがあったのですが、
そのときも、 みなで一緒に食事、ということだったのですが、

私は行く途中に車に酔つて、
おばあちゃんも、おなかがすかないということで、車の中に二人だけ。


なぜか話は、おばあちゃんの美味しかったものの思い出の話になって行きました。

「美味しそうで いても立ってもいられないです」といって笑いあったけれど、
残念ながら 詳細を思い出せない。
当時 紙の日記に書きなぐったのに残ってると思うけど、、、。
うすいお汁粉とか、、、
漬物とか、、、和え物とかしょうゆとか、、、

そうそう、しょうゆを家で作ったという話だったかな、、、
それに塩をいっぱい入れて、減らないように、、、

普通のものだけど 話しぶりが美味しそうなのでした。

おばあちゃんも、レストランには行きたくないから、といって車に残ったけれど、
本当はおなかがすいていたのかな。


そのときに、ぽつりと、

「長男がよく病気をして、、、
○(町)まで、びんをもって、牛乳を買いに行ったわね、、、
牛乳も、いつもあるわけではなくて、、、買いに行ったのになかったり、、、
買っても、冷蔵庫がないから、持たなくて、、、

あの子は育てるのが難しかった、、、
こんな話をすると、恩を着せられたって言われるからね。誰にも言わないね」

確かに、おばあちゃんが口を開くと、長男は「おばあちゃんは しつこくて」「またその話」と苦笑するか むっとし、
お嫁さんはささっとさえぎって話題を変えてしまう。

おばあちゃんが何か言うと、息子夫婦が
批判されたように激しく反応する場面もありました。
私がお邪魔したときもいつもそうで、それが日常だったようです。

おばあちゃんの話し方は、いやみでもあてつけがましくもなく、説教くさくもなかった。

牛乳の話も、ただただ、思い出してた、聞いて欲しかっただけだと思います。
50歳下の私が聞いても、当時の思いが実感できるわけではないけれど、
かわりに、角も立たない。


育てにくい子だった。

ただ、そのときのあわただしさ、充実感を味わい返してただけ。



おばあちゃんに、次にあったときは 二か月しか 経っていなかったのに、
なくなる数分前のことでした。

意識はないとは言え、まだ息がある(耳は聞こえるはず)のに、
周りの人は、これまでの介護の仕方や葬式の段取りなどの話題を始め、
息子と娘は枕元で喧嘩、さらに娘は嫁をののしる、

「みんな仲良く」といっていた人のそばで
今なんでそんなことを、と
いたたまれなかった。

今ご臨終です、といわれたとき、
なぜか タイミング的に私と1号がおばあちゃんの横に居た。
1号「おばあちゃんの口が横に向いた」
「ありがとう、さようなら、を言うんだよ」


その後も 親類同士で もめにもめ、直接には関係がない私も、
お葬式以来おうちにはいけなくなりました。

だれかと、おばあちゃんのあの美味しそうな話をしたいんだけども。