映画レインマンと、映画ちづる

きのう、NHK BSで、レインマンの映画があっていた。

私は映画を見ないほうだけど、
レインマンは一番好きで、何回も見てます。しつっこく見てます。
そして見るたびに、いろんな面がいっぱい組み込まれていて、

ほんとに、よくできた映画だなあって思ってます。

レイモンドには、ちゃんとモデルがいるそうですね。そうでないと こんな風には、作れませんね
モデルの人は、アカデミー賞のトロフィーを、非常に喜んでいたとか。



最初にレインマンを見たときは、「レイモンドみたいな人は本当に居るんだろうか?かわいい・

ほんとうに、居たら きっと好きになる」

と思ったんですね(たぶん私は大学生)



まあそのご 自分がレインマンを産み、

私自身もやや怪しい感じ(レインマン寄りの気質持ち)だと思うのですが


そのころ映画を見たら、


「なんて自閉症らしさをちゃんと描いてるんだろう」ということに圧倒され、


一方、弟のいらだち(パンツなんてKマートで買わなくても、どこのでもおんなじだろ!なんでいつも同じ独り言言うんだ!)
も 共感したりするんですね

叫びだしたいほど息づまるときがある


レイモンドのお母さんは 映画に出てこないけど、

お父さんの話はちょこちょこ出てきて、きっとレイモンドを大事にしてたんだろうことは伝わってくるけど、

どうしたらこんなに気立てのよい自閉症者に育つのかなあなんて思ったり。



レイモンドが、(自閉症自体は治るものではありませんが)弟によって変わっていくところも希望が持てたり。



そしてふと


「これはレイモンドの自閉症の物珍しさの話じゃなくて、レイモンドによって、変わっていった弟の話だ!」

ということに気が付き、いまもそういう風に作られた映画だと思ってます。



ただ、一つだけ 何年も、

腑に落ちないシーンがあって、




精神科医が「君は自閉症者か?Are you autistic?」

と尋ねたら



レイモンドが

「ちがう。

絶対に違う No!
Defnitly not」


というところなんですね

その時には弟の顔が大写しになっています。



「いいや、自閉症じゃん!」と私は心で突っ込むのですが、


なんでこの映画に、そんなシーンがあるのか?

なんでわざわざ自閉症者に「自閉症者じゃない」なんて言わせたのかな?


ずっとわからなくて、

ふと、質問サイトで映画好きに聞いてみよう と思いまして、



すっごい答えをもらいました。





その答えは

「いや、自閉症者じゃない、

僕は、レイモンド、

○○通り○○番地のレイモンドだ」

ということではないかと



それで私は非常に驚いて、


そうだわ〜!レイモンドはレイモンドだ!


自閉症者」だと思ってしまうけど、自閉症を持っていても、


主体はその「人」なんだ、と思ったのですが、




(と、ここでやっと、ちづるの話に)


ちづるの映画もそうなんですね。
(ラストでそれは見事に)


自閉症ってこうなんだよ〜

という映画じゃなくて


ちづるさんはこういう人です(自閉症はおまけ 大きすぎるおまけですが…)

こういうできごとがあり・・・


お母さんはこうです

お兄さんはこうです


というありのままを見せてくれた映画なんですね


お兄さんが いらだったり、お母様が「わからない」「(兄弟には自由でいてほしいという気持ちと、自分がいなくなった後はどうなるんだろうとか、助けてほしいとか)気持ちも変わっていくよ」というところとか

(初回見たときは、お兄さんがちづるさんの行動の意味をお母様に尋ねたりしてるような場面で、
ちょくちょくお母様が、「わからないけど・・・」「わからないよ〜」といわれるのが印象的でした。

なんで!?なんで?

って思っても、わからないときも多いんだけど、

わからなくても わからないままを受けとめてらっしゃる感じがよかったです。

ちづるさんもとてもいいし


これが意図して作られた脚本ではなさそうなところが 私は好きですね

障害者をテーマにした映画や本では、たまに、

障害のある人が 天使みたいに描かれすぎてたり、

はては 美しく死んでいくラストになってたりして、

「勘弁してよ!障害のあるひとだって、ちゃんとこの世で、生きていくんだからね!」

と思ったりする私ですが…


映画だったら 見終わったら終わりなので


「よかったね」「ちづるさんかわいかったね」

なのですが



ちづるさんはちづるさんとして、今を本当に生きている。

これからも生きていくんだよね。


ちづるさんが、自分から行きたいところが増えるように

ちづるさんがしたいことができるように

くみさんもおにいちゃんも、ちづるさんのことを心配しすぎないでいられるように


ちづるさん、久美さん、お兄ちゃんのお幸せを、私は願うのです。


というのが、自分の子も自閉症である私の

映画「ちづる」の感想。