自閉症の僕が飛び跳ねる理由 東田直樹

これは図書館でざざっとよんだだけの本。

きっかけは、アメリカにいた時によくしてくれた人が、

Why I jumpを読んだらいい。日本人の男の子が書いてるよ

という短いメッセージをくれたからだった。


重度の自閉症児が書いた本

となると、どうしても、そばにいる大人が腕をとらせて一緒に入力したんじゃないの?

親の願い(わかっててほしい、本当はこう思っていてほしい)がどうしても反映されて入り込んでしまうのではないの?

と思ってしまう

でも、この本は、1号(が、言葉を絞り出して言うときのいうこと)に似すぎているので、(これは本当に、本人が内側から描いた本なんじゃないか)

(にしても客観性はあるし)

と半信半疑ながらも胸を打たれたのだった。



それが二年くらい前のこと

最近、NHKスペシャルで、東田直樹さんの映像が見れるらしかったので、

ほんとうに本人が入力してるのかを知りたくて見た。

疑ってるというよりは、やり取りが成り立つということを見たくて。


結果、

ほんとうに本人が入力してるんだと思う。

そしてやっぱり1号と共通項が多い…

こういう疑いがもたれやすいからなのか、
お母様は離れて立っている。
「こういうことなの?」などの誘導はなさらず、無言でいらっしゃる。



番組の中で、自信の息子も重度の自閉症という外国人作家が出てきて、
こどもの友人関係(がもてないこと)を、父が心配されてる場面があったが、

私は1号を見てても、東田さんを見てても、ほかの重い自閉症の人達数人を思い浮かべても、

深くあっさりした友人関係は

「絶対にある」と思う。

食堂でワイワイ騒いだり、イオンにプリクラ撮りに行ったりする友人関係じゃない別の結びつきが。

その辺を「レインマン」も描いていた。

深いところの結びつきを…

手を触れただけでも、それが自分から起こした行動であって、何年も何年も、その時の服装(シャツの模様)からお天気まで覚えてたりするものなんだけど。


だってその作家も、明らかにおかしい行動をとる年の離れた青年を自宅に招き、マジの質問をしてるわけで。それって友情(信頼関係)に成り立つもの・・・ではないのかな。