苦手修行

だんなが、「あいつ好きじゃない。●だから」

というとき、それは!だんな自体にも当てはまっている。

おしゃべりだから、とか。

真顔で言うけど私はぷっと笑ってしまう。

おしゃべりは だんなもそうで、
わたしはおしゃべりする人がどちらかというと好きなので、わたしからみたら、おしゃべりは(内容にもよるけど)欠点ではないと思う。
にぎやかな人がいてたすかる、と思うことも多い。

だんなは、自分がしゃべりたいので、自分よりよくしゃべる人がいやなのだ。

つまり、「あいつが嫌い、なぜならば」というのは、
相手の欠点ではなく、自分の問題だと思う。

だから、わたしは、内心苦手(嫌い)な人と過ごすとき、ものすごくいや。

自分のいやな部分を拡大鏡で見てしまうから。

以前は、嫌いなのは相手が悪いからなんだ、と思ってたけど、

どうやらそうではないらしい。

自分にはちょっと甘くなるので、自分の目をつぶってる部分と、同じことを人がするとき、いやなのだ。

まあとにかく、週末はこういう時間(嫌いな人といて、「アア、もう、なんでこんななの?」「あ、いや自分もそうだっけ。さらにイヤよ〜」、と、自分を見せられるようで〜うんざりという)を もんもんとすごした。

どうも相手も同じようで、お互い、相手の言動に、「いや、そうじゃなくて」「それはちょっと、、、」
と言い合っている。苦しい。

でも、その人が帰るとき、私は その姿が見えなくなるまで見てしまい、

まさかとは思ったが 相手も チラッと振り返ったんだった。