自分の仕事が好きである人


二号が「一輪車が欲しい」と。

2000円位かと調べたら5000円位する!
「オークションでもお下がりでもいいから」

だんなに「買っていい?」と聞いたら
「俺も使わせてね、やってみたい!」


自転車やさんに行った。
私のと、二号の自転車を、お店の前に停めさせて貰って、一輪車を買って、

近くの公園で おやつを食べつつ 少し練習した。

練習から戻ってみると
私のと、二号の自転車がきちんと止めなおされている。

「邪魔だったですね、すみません」

店員さん「いいですよ、でも、その子供用のほう、椅子がぐらぐらですよ」


「そうなんです。乗ってるとき、椅子、抜けるんです」

店員さん「治してもいいですか?」

「ありがとうございます、これ、5000円くらいの、自分で組み立てる自転車で!」

店員さん「にしても5000円は安いですね!」

「外国のなんです。でも、上手く組み立たないし、
付属の ねじ回しの工具は すぐ曲がってしまって買いなおしたり。
何本も工具かいました」

店員さん「そうですね、ブレーキもないし、規格の違うねじがずいぶんあるなあ」

「スタンドつけたり、2000円くらい掛かって。
でもスタンドも上手くきいてなくて倒れるし。

結局、新品の ちゃんとしたのより
お金がかかってしまいました」

店員さん「スタンド 2000円は高いですね」

「あっ、ここではないんですけどね、」

店員さん「ですね、ウチなら500円ですよ。そうですね、タイヤの大きさと合ってないから倒れるんですよ」

「500円なら、スタンドもつけ直してもらえませんか?」

もう空中分解寸前の自転車だったのに、ブレーキの向き、ハンドルのところ、全体のねじの甘いところ、全部きっちり直してもらった。
二号の身長に合わせて椅子も上げてくれた(長いこと、壊れていたので 私はあげられなかった)

おお〜あと3年は乗れそう。

その間、3は、空いてる ねじ回しや 工具を持って 自分も修理気分で座ったり
自転車を叩いたりしている。

店員さんはまだ20代という感じ、
手も服もまっくろだ。
でもニコニコと修理してくれた。

「上の子の自転車も、1日に一回チェーンが外れるんですが、ここで買ってないものでも、修理は頼めるのですか」

「うん、いいですよ。ただ、そのくらいだと、こことここのねじを自分で閉めたらいいですよ、
自分ですれば、修理代が要りませんからね」

暇な店ではないようで、その間に電話がなったり、お客さんがきたり、
しゅうりの申し込みがあったりで 細切れだった。

店員さん「じゃあ、スタンド代500円ですね」

「いえ、ほかの部分の修理代もとってください。

ほとんど廃車だったのを、乗れるようになったんで」

(ホントは、この自転車がダメすぎるので、
近いうちに、新しく買わなくちゃいけないなあと思っていたので、
修理してもらった結果 店員さんにしたら、一台売り逃したことになるだろう。
修理にかかった時間や手間も取ったし。正直にすると儲からない矛盾?)

「いいです、修理が好きでやらせてもらったので。」

二号「乗りやすい!!すごいね!」

アメリカだと、こういうときに、店員さん個人に渡せるチップで感謝を現せるんだけど、日本でやるのはどうだろう。



「ただでは悪いね」と 少し飲み物を買って、
二号に、「「おかげさまで 乗りやすくなりました、これどうぞ」ってあげてきてね」


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自転車やさんは、その店員さんのお店ではないし、修理が増えたからといって
給料に反映されるではなさそうなのに、
「仕事が好きなので」
といえる人は貴重だ。

大事にしなくてはいけないと思う。

だんないわく、「そういういい店員さんを見たら、
名札をチェックして、お礼のお手紙を 会社に出すと、少しは報われるかもしれないね」


こどもたちも、イヤでイヤでたまらない状態で仕事をするよりも、
「この仕事がすきなんで」といえるようになって欲しいな。

社会的に勝ち組とかエリートじゃなくて いいんで。

できたら、地位とか職種に、ではなく、「ちゃんとやる」人に 相応のちゃんとした報いがあるような社会であればいいんですが。