自分でわかるときが いつか来た

1号は、自閉症っぽさを残しながらも、
だいぶ適応が進んでいると最近思う。

ここ1年くらい、知らない人からの電話や、インターフォンや、
マクドナルドに行っても、病院にいっても、
わたしぬきで ずいぶんやり取りができるようになっている。

まあ、普通のお子さんの小学校3年程度のコミュニケーションでしょうか・・・日常にはだいたい、差し支えないくらいのコミュニケーション。

うんざりするようなしつっこいことも、あまり言わなくなってきた。


逆に、普通の子達・・・二号3号が、あいも変わらず同じ理由でけんかしあったり、いがみ合ったりしてるのを見て、

1号の平和さがありがたく感じる。
つい、「何であの子ら、いつも同じけんかなんだろうね・・・」と1号に向かって愚痴ってしまう。

1号は「俺も、しつっこくいろんな悪い癖があったよ。

でも、治るから、だいじょうぶ、

2号も3号も、自分でわかるときが来るから」

「そうかなあ〜」

1号「保障はできないけど、大丈夫だと俺は思うよ」


まあ彼がそういうならね・・・

しかし1号の場合、その、「自分でわかった」時はいつだったんだろう、

と探っているんだけど、はっきり、わからない。

1年前くらいに、1号に、本当にいやなことを繰り返し する子が居て、
半年以上 対応に てこづったんだけど、

そのころに、
「ここまで、ひどくは、ないけど、
あんたも同じようなことを 友達にしたことがあったんだよ」

「やったほうは 気がつかないんだけど、やられたほうはつらいんだよね」

みたいなことを言ったので、そこらへんかもしれないのだった。

いやな経験でも、自分を振り返るきっかけになったのなら、
少しは元が取れたのかも・・・
(その 自分に意地悪した子のことについて、1号はもう「なんとも思ってない、あやまってくれたし、もうしないでくれてるから」という。私はしつこく、許せずにいるんだけど)


とにかく、子供というものは、自分の中にある力でしか、成長しないのかも、と、ふと思う。

周りの大人は、それ(子供の 中に ある力)を 補助すること、
しかできないのではないか?と思うのでした。