彼の心に住む人

自閉症の人は、目を伏せがち
自閉症の人は、ひとの誕生日を覚えてて、何年経ってもデータはきちんと更新されてる
自閉症の人は、一回会っただけの人でも 何年経っても昨日の事みたいに覚えてる

というのは、うちの1号にはぴったり当てはまっています。

すぐに人に溶け込むことはありませんが、

自分から好きになった人のことを、忘れることはないようです。
(その代わり、嫌いな人の名前を 口にすることが出来ませんが)

そういう 好きな相手には きちんと視線を合わせもしますし、何年会わなくとも、
誕生日が来ると「○さんに電話して ○才になりましたね、おめでとう 
を言わなくては」と、電話をしたがります。

そして、「最後にあったのは5歳のときなのに、まだ覚えてくれてるの?
何で 誕生日と、俺の年知ってるの?」
と驚いてくれるのがうれしいらしい。

そして、その相手が今どこに住んでて、どんな仕事をしてるかどんな学校にいってるか、
そういうことを ききだし、ずっと覚えている。

ある人が、
自閉症の人が目を合わせないのは、忘れることが出来ないからかもしれないね。
いやなことがあったとき 記憶から消したい と思ってもできないでしょう。

だから、不安や怖いときは 記憶に残したくないから、
絶対こっちを見ないんじゃないかな。」

といってくれた。

その人は、ぱっと見た感じは、声も大きいし、叱り方もパワフルで、
正直、(1号の苦手なタイプだろうな〜)と思っていたのだけれども、
意外や意外、1号は その人を信頼しており、かかわることで世界が広がっている。
(なぜすきかがわかるかというと、1号が、「あの人の写真を撮ってね」と私に頼んだから。彼は、一年生のとき、デジカメを持って、好きな女のこの植木鉢に書かれた名前を撮った)

1号は、誰を自分の心に入れるか、入れないかを
自分できめてるように思う。

そして、その住人が増えるほど、彼の世界や理解も広がるし、安定するし、
バランスが取れやすくなってると思う。
彼が好きな、一人ひとりのひとが、
彼の世界と この世をつなぐ安全ネットになってると思う。

こういう感じ。
彼は小学一年生になったとき、数の概念を知らず、1+1も答えられなかった。
当時の担任の先生が、本当に丁寧に、数を数えるところから教えてくれたので何とか
わかるようになっていったけれど、躓くたびに、
「算数はいやだ」とごねていた。

「あんたの好きな○さんは、算数の先生だから、今度教えてもらうといいね。
あの人がさ、「数というのは きれいなんだ」といってたよ、私は よく、わかんないけど。」
といったら ぱっと顔が輝いた。

一年の終わりには、足し算引き算、掛け算割り算、無量大数までの数が
わかっていたようだ。




レインマンが、最後のほうに、弟に、「CーHーAーRーLーIーE,(名前のスペルと)
チャーリー、僕のメインマン」
といったあたりは、このことをさしてると思う。

自閉症が治るわけではないけど、
彼のメインマンになる人が増えることで、彼の世界が広がるんだ、
でも住人を誰にするかは 自閉症がある本人がきめてるんだ、

といってるんだと 私は思ってる。


一緒に住めないけど、心の住人になった以上、データ更新もされるし、
フレッシュな記憶とともに 彼はいるのだから、
施設に帰った彼、弟とは住めない彼を、「かわいそうな結末」ともいえないと私は思う。