あのこだわりはなんだったんだ?やめさせるか、振り回されるか

昔の自閉症の本を見ると、

こだわりは「困った症状」みたいな取り上げられ方のような きがします、



最近のものになると、
「こだわりも いかせば 生きる力に結びつく」、というポジティヴなものや、
「こだわりは 安心できるお守り」といった、自閉症側から見た記述もあるようです。

(こだわりの内容や、負担や迷惑を与えるようなものならばまた別の話になりますが)


んん、うちの子も、車種にこだわるあまり、「菱」という漢字がかけるようになったし、
三菱ふそう、の菱です)(書けたからどう、ということはまた別問題ですが)

毒ヘビを愛するあまり、その長さを暗記したことから、
長さの感覚や 単位、生息地域から、地図に若干興味が広がってもいます。
「お母さんとマレーオオトカゲはどっちが長いでしょう?」


ただ、周りの人(おもに親族ですが)が 私と1号を見る目はかなり厳しい。

「ぬいぐるみを持って歩く」といいはる時期には、
手のひらにおさまるように、フェルトで作ってやったのですが、
それでも1号にとっては譲歩だったのに、
義母には、「小学生の、しかも男の子が、そんなもの、おかしい、取り上げなさい」、
といわれたし、

みんなで、水族館に行っても(いけたことだけでも大冒険なのに)、
駐車場に止まった「大型バスの車種を見なければ」、といって騒ぐ1号に、
「もうイルカのショーが始まるのに!!何のために来たの?」といわれながら
謝りつつ 二人だけ退出し、駐車場でうろついたっけ。


私が1号に振り回されてる、甘やかすからひどくなっている、というわけで。


私は、1号に関しては、こだわりに、とことん付き合うほうが、
無理に取り上げるより、早く終わるし、
無駄な摩擦も少ないからいい、と思ってるのですが。

だから、振り回されてるわけではなくて、私のほうで それがいいと選択してるのだから、ほおっといて欲しい。


いったん、あるブームが終わってしまえば、あっさり次のものにうつります。
(不安なときに 若干後戻りして 昔のこだわりに浸るときもありますが、
そのときはもう しつこくはしません。また、ああ、今不安なのかな、という目安にも出来る)


先日、めずらしい型の排水溝を見たので思わず、
1号が あんなに長期間こだわっていた排水溝が懐かしくて、
「あんた〜すきだったよねえ、排水溝!見ていこうよ!」
といったら、



「え???、、、、、、、、なんで見ていくの?お母さんはなんで排水溝がすきなの?」

と1号本人が言うので 凹んだ。

排水溝の点をつなぐようにして散歩したのにね、
一日何時間、通算すると何日間、排水溝に座ったんだろう、わたしたち、、、。


というくらい、排水溝の上で長い時間をすごしたのにね。
こんなにあっさり忘れることもあるんだなー。