自閉症関連の場所に入れてみますが、
自閉症はない 知的障害のある女のこの お母さんの話。
お嬢さんは うちの1号と同じ特殊学級に居るのだけど、
お母さんが思った(期待した)ほどに能力は伸びずに、
軽度だったのが、中度の判定にかわったということだった。
数年うちに、もうひとつ重い段階になるといわれたらしい。
それは、障害の度合いが進むということではなく、
周りの子との差が開く結果数字としては下がるという意味らしい。
お母さんは、いつ会っても、悩んでらっしゃる様子だった。
「この子が死んでくれたらいいのに、そうおもわない?」といわれたこともあって、
もちろん、悩みすぎた上での冗談だとは思うけど
びっくりもしたし、価値観が違って共感も出来ないし、
話が かみ合わないだろうな、、、とずっと思っていた。
養護学校に見学に行ったときも、「一般企業に就労できますか」という質問が随所に出ていて、なんというか、上下という尺度でみている、、、という感じのする人だった。
たとえば、「普通学級が良くて、特殊学級でも不満で、養護学校にいかせるのははかわいそうだ」「一般企業>作業所」
という発言がちらほらあるので、養護判定をもらったお子さんや、
中学から 養護に行かせようと思う人には カチンとくるようなこともあったらしい。
というか、高校の時点で ほとんどのお子さんが 養護学校に お世話になると思うのだけれど、、、(もちろん、うちの子も)
というか、そういう、じぶんのもってる尺度のせいで 自分が悩んでいる、といってしまうのは冷たいかな、
でも私はそう思う。
そういう 優れてるほうが幸せにちがいない、というヒエラルキーは「幻想」だと思う。
面と向かって そういえない私もチキンですが。
私自身は 偏差値の高いといわれる学校にいかせてもらった(自分の能力よりも高いところでしたので 授業もさっぱりわかりませんでした、入学試験だけ通ったので)のですが、そう思います。
ヒエラルキーのことを信じてる人ほど、悩みが多くなるんじゃないかな。
脱線したけれど、
そのお母さんが、
「養護学校を見て、ショックを受けた。現実って厳しいなと思って。
でも、すごく晴れ晴れと楽しそうな子どもさん居たよね。
せっかく生まれてきたのだから、あの子だって楽しく過ごしたいよね。
無理させつづけるのはかわいそうかな、楽しく過ごせるところがいいのかもね。」
「せっかく生まれてきたのだから。」
この言葉に はじめて大きくうなづいた。