1号が昔アメリカで行っていたナーサリー(ようちえんのようなもの)では、
なんでも ルールが決まっていて、それでもわからないときは 話し合いだった。
たとえばルール1
「みんなの共有のおもちゃは 先にもってたほうが、心ゆくまで使う。
次に使いたい子は、「使い終わったら知らせてね」といっておく。
その待ってる間は、空いたおもちゃで遊ぶ。
たいていは、人の使ってる物が面白そうに見えるもので、「あなたの順番よ、どうぞ」といわれたときは、別のが面白くなってたり、「あ、もういいわ」ってなってたり。
でも、ちゃんと知らせる。
知らせてもらえるからこそ、駄々をこねずに待てるから。
使ってる途中で誰かが、泣いてもぐずっても、譲らなくていい。
引っ張りっこになってたら、
「このおもちゃを使いたいんだね」「どっちが先にもってたかな?」
と落ち着いて尋ねていた。
個人のもので、どうしてもどうしても貸せないものがあることは認める、でも、そういうものは 幼稚園には持ってこないこと。」みたいに、誰にでもわかるように明記されていた。
泣いて駄々をこねれば自分の思い通りになる、という癖がつけば、
気性の強い子は駄々をこね、こねないほうは、譲るばかりで損をする。
それは公平ではない。
だから、おもちゃの取り合いはなくて、本当に和やかで、でもいいたいことは、どうやって伝えようかという話し合いがいつもあっていた。
2歳半のクラスですらそうで、3歳くらいのこでも、闇雲にいやいやと反抗するこは ほとんどいなかった。
強要せずに、いくつか親が選択肢を用意して、子どもが選ぶとか、
じゃあどうするといって話し合ったらそれを守るとか、
こういうことは、自閉症1号にもとても役立った。
長いこと役立ったし、今でも役立っている。
が!
二号がこれをなかなか理解しない。
幼稚園では、かなり譲ってた様子。
が、家では、なく、わめく、ズルをするのどれか。
今日は、「ボウリングとカラオケ、どっちかいこう、どっちに行こうか」と聞いたら
1「ぼくからおけがいいな」
2「ボウリング!絶対!」
「じゃ、話し合って、どっちにするか決まったら教えてね」
1「くじ引きはどう?」
2「じゃんけんがいい!」
1「俺じゃんけんは、できないんだ(タイミングが合わない)」
くじで2泣く。
2「カラオケが出た、、、もう一回ひく!!!」
1「だめだよ」
2「ぼうりんぐがいいいいい!!!」
「じゃ、ボウリングに一人で行くか、泣き止んでカラオケに行くか
あなたが好きなほうを、選んでね」
といっても、泣きながらボウリングボウリング!
「じゃあ、私はどっちにも行かないよ。
イヤだったら、くじをひいちゃだめなんだよ。くじを自分で引いたんなら、それを自分で守ってよ。引いた後で自分のいいほうじゃなかったから文句 はダメでしょう。
もし、もう一回ひいてカラオケだったらどうする?またひくって言うんでしょう? 」
といって、すべてのくじを開けてみると、ちゃんと、同じ数だけボウリングとカラオケと作ってある。
けっきょく、ぶうぶういいながらも泣きやんで、カラオケにいったんだけど、
1号は蚊の泣くように自信なさげに歌い、はじめての二号は 上機嫌で堂々とたくさん歌った。
自分の意見が通らないと泣いたほうが勝ち、というのは いやなんだけど、
二号はそこに反発してるんでしょうね。
「お昼なに食べる?
さっきは オニイチャンの意見が通ったから、今度は二号が決めていいよ
みんな従うよ」
といったら、当然のごとく「マックに行く」と。