3号は、昼寝もしない代わりに、
9時に布団に入れると、5分も経たないうちに寝息になっている。
2号もそうである。
こういうとき、1号が いかに難しい子だったかを思い出す。
昼間は、すぐに疲れて眠り、代わりに夜は夜中2時3時まで眠れず、
何をやってもだめなんだった。
そして朝は起きれない。。。無理に起こしても顔は真っ青で
すぐに眠り込む。。。
これが6歳までそうだった(今でも すぐリズムが壊れる)。
今思うと、睡眠障害なるものかなあと思うのだけど、
2号3号が、
3歳で幼稚園に入ったらすぐに生活リズムが整ったのと大違いである。
0歳のころから、(覚えてる限りで 10ヶ月のときにすでに1号は扱いにくかった)
食べるもの、着るもの、何でもにおいて、1号は、一つ一つにつまずき、かんしゃくを起こし、悪態をつき、摩擦を感じるのだった。
半そでを着せようとして、一晩中泣かれたこともあった(2さい)。
一晩中泣くくらいなら、汗だらだらでも、本人がそれで安心するなら、
長袖を着せるようにしないと こっちが持たない。
海外移動中、食べれるものがなく(偏食です)て、4日間のまずくわずだったこともある(4さい)。
私が子守唄を歌えば、泣き喚いて私の口をふさぐ(0,1さい)ので、
鼻歌も歌えないし、
テレビをつければあわてて消しにくるし、
くしゃみや、ピンポンや、電話のベルで泣き喚くし。
やあっと、眠っても、私が寝返りを打つと起きてしまうので(それでも一緒にいないといけない)、身動きせず眠ってました。
道路で転べば、
「どうろをこわす!」といって何時間も悪態をつく。(6さい)
とにかく、し〜〜んとした空間で、そろりそろりと生活していたし、そういう私と1号を見ては、
「過保護すぎ」
「あんた何か冷たくない?子供もちっとも寄ってこないし、抱こうとしたら泣き喚くし、こんな子、居ないよ」
「子供に振り回されすぎじゃない?」
「将来苦労するよ」
「育てたように育つって言うからねえ」
「ちゃんと好き嫌いさせずに、無理にでも食わせろ!」
などと、本当に、私のやり方は非難されるばかり、でも、そう非難する人でも、誰も1号を扱える人はいなかった。
私だって、心から納得してそうしてたわけではなく、
「それしかなかった」のである。
今思えば、半そでを着ないからといって 誰かに迷惑をかけていないのだから、それを「将来」まで引き合いに出して、アレコレ言われたのは的外れだと思うけど。(人に迷惑をかけることなら何が何でも止める様努力が要りますけど)
1号に合わせることで 「本人が」安心したのならば、無理にそれをひきはがす ようなことをしなくて良かった、と思う。
ところが2号3号は、寒ければ自分で服を足すし、ぬれたり、暑ければ脱ぐし、4歳くらいで身辺のことは何でも一人でやる。
「おかあさん、だいすき」としがみついてくるし、私の下手な歌も、「それ何の歌?おもしろい、もう一回歌って!」と喜ぶし、何でも「おいしい!!」とたくさん食べるし、転んだり失敗しても、「てへへっ」と笑ってすぐ起き上がるし、
とにかくいつも機嫌がいい。
なんて、楽なんだ。。。
といつも思ってしまうのである。
もちろん、2号3号は、年齢なりに お友達との衝突や、ごたごたがあるし、こういうことは、人と接触できない1号のときには なかった悩みなので、私も面食らうのだけど、
それも 自分や周りの力や、なんとなく時の経過で 2週間後くらいに、
「あれそういえば、どうなった?」とたずねたときには、「あ、あれ、もういいの、」と、乗り越えてしまっている。
1ごうが 今でも、「○クンがこう言った」とかを まるで今言われたかのように、何年も何年も覚えているのと大違いである。
1号は、障害の程度としては軽いほうだと思うし、中学生になった今、日常生活においては、それほどの混乱も摩擦も感じなくなっているので(もちろん、社会的に普通の人として生きていけるほどの力はなさそうに思うが)、
これぐらいで(親の私が)苦労した苦労したとは言えないと思うんだけど。
それにしても、障害のある子と ない子の育てやすさは
ぜんぜん違うんだなあ…と日々実感してしまうのです。
もっと言っていいならば、障害がある子を育てるとき、その子とのかかわりに疲れること以上に、
周りの言葉のほうが きびしく胸をえぐるのだった、
そういう人と付き合うよりも、障害のあることふたりっきりで家に引きこもっているほうがマシ、たとえ世間とのつながりがなくなっても、
なんである(私は、です。)。
ごくまれに、1号が 自分からなつく大人がいて、今思うとその人たちは、
1号を ただの1号としてだけ 見てくれる人だった。
(なので、診断がついたあとにも「ほんとに?」とか言いつつ、同じ態度で接してくれた。必要以上にかわいそがったりしない人たちでした)
別に 特別子供好きとか、おもしろく遊んでくれるとかなわけでもなくて、
なんとなく1号のほうから寄っていく人たちがいたのである。
そういう人は、「1号のどこが悪いの?いい子だよ、変わってるだけだよ。」「俺子供好きじゃないけど、1号はおとなしいし、面白いよ」といってくれたものだった。大体、子供を持ったことがない人たちのほうがそんな感じだった。
「私は自分の子達をちゃんと育ててきたし」という自信にあふれる人のほうが怖かった。
そういう人にいろいろ言われたときの傷は今、したに普通の子をふたりもって、そう言っていた人たちからも、まあめったに、「育て方が悪いから」とは言われないことで、
「ああ、わたしは 何も かわっていないから、1号が難しかったのは、私のせいじゃなかったんだ」とずいぶん傷がいえた。
でも、普通のこたちが したにいるから、
障害のある子がかわいくなく感じるか、といえばそうじゃなくて、
どの子も 比べようがないくらいかわいく思うけど、
なんとな〜く、困難な子の方に 情が行ってしまうのである。