子供二人と、一緒に、ワタワタあわてる自分の前には、
4人の、偉そうな(態度が、ではなく、ですよ)面接官のかたがた、、、
「え、名前はmm、」
といったら、1号はすっと立って出て行こうとした。
ちょうどいいので 二人ともに、出て行ってもらった。
「さっきのコドモが自閉症です。
○先生がた(面接官二人)にも その節は、たいへん、お世話になりました。
ようやく手がかからなくなってきたので、
それで、このお仕事させていただけるといいなっと思って、、、」
うう、「いいなっ」じゃないだろ、友達言葉でしゃべってどうする、、、
アメリカにいたことなど聞かれたので、
「アメリカでは、1号は、普通のようちえんへ行っていました。
確かに成長は遅かったし、同じ年頃の子供に比べて、
ほとんどできることはなかったのですが、
それが問題になったことはありません。
遅れていても、一人の人格として、ほかのお子さんとまったく同じに扱ってもらえました。
誰かに比べられたこともないし、あなたの子遅れてますともいわれませんでした。
コミュニケーションの方法は親子ともに教えてもらったので、
1号は、能力の割にはコミュニケーションが出来てるほうといってもらっています。
これは、方法を教えてもらったから出来てるわけで。
人と比べられなかった、それが障害発見の遅れにつながったのはそうなんですが、
彼そのものは、成長してるということは ほめてもらえてましたし、それでいいといわれました。
ひとより、遅れてても、それが彼だ、彼が成長していればよい、
という風に見てもらえたことはよかったです。
ですが帰国してみると、あれができません これができません しか言われなくて。
ではどうするということは何もなく。ショックでした。」
面接官「5歳ならこれくらい、できてなくてはとか、このお子さんの発達は
どれくらいというのは わたしたちの主な、仕事ですからね」
「ええ、それは大事なんです、でもそれだけにこだわる必要はないと思います。
私も、一番上の子がはじめて入ったアメリカの幼稚園でしてもらったことが
当たり前だと思い込んでいたので、
私自身、日本の社会がどうだってことを知らなかったのですね。
今うちのこの能力が○さい、しかない、
そういってしまうと、ウチのは、「◎才としてみたら、何にもできない子」です。
私はそうは思っていません。
うちの子は遅れてる、でもそれはちっとも恥ずかしいことじゃないです。
「じゃあこうしてみよう」「どうしたら出来る?」というのが親の仕事じゃないんでしょうか。
親同士で集まると、どうしても、ぐちとか、傷ついたとか、暗い話題になってしまいます。
愚痴もいいんですけど、そればっかりじゃなく、「じゃあ何が出来る?」っていう話にならないのが もどかしいんです。そこから何かしたいんです。」
面接官「じゃああなたは、もっとそういう団体に接触されたんですか?」
「、、、いいえ、、、まだです」
面接官「継続的に療育は受けていますか」
「、、、いいえ」
別の面接官「では、障害は個性と思われてるんですね?」
「ええ、彼にとってはそうだと思います。」
皆さんの表情はかなり厳しい。
ゥゥ、鼻持ちならないやつ、と思われてるんだろうな。
アメリカ生まれの↑ドロンパみたいにね。
そのあと、「こういう法律ができたけれどどう思いますか」とか、「自立って何だと思いますか」とか、専門的なことなどを聞かれて、
「、、、自立って、、、食べ物がおいしくて、ぐっすり眠れて、たまに楽しいこともあって、そういう、、、、、、、ごく当たり前の生活が出来て、
、、、、、、能力におおじた社会へのお返しが出来ればいいんですけど。
八百屋さんでも魚屋さんでもいいんです。」
おいおい、こんなこと聞かされる面接官の皆さんの
お時間をとってしまったことが申し訳ない。
「わたしは何にもわかっていない」
ということが明らかになっていった。
おー、はずかし!
かいてて顔がアツくなってしまった、、、。
あ。ちなみにリクルートスーツはやめて、親にもらって忘れていた
無難なスーツ着ていきました。
ちなみに、当時1号がお世話になった先生=面接官二人は、
ミラクルさんだったんです。
初めて1号を扱えたお二人でした。
ですから、まあ面接は散々でも、
1号が 落ち着いた様子を チラッとでも見てもらえてうれしい。
お二人が覚えてるかどうかわからないけど。
1号が、もう めちゃくちゃのときに見てもらったかたなので、、、。