シュタイナー?

たまたま、シュタイナー関連の本を手に入れた。
(図書館の廃棄本棚の中にあった)

以前、お子さんに発達の遅れがある?という親御さんが、
「シュタイナーの何とかをやってます」といわれたのが記憶に残っていて。
当時私には「発達の遅れ」というキーワードは、他人事でしたが。今思うと、しきりに誘ってくれてたんだなあと思い当たる。


その後、モンテッソーリの何とかという幼稚園に1を入れたけど、
その幼稚園は 「障害には理解があります、教育には自信があります」とおっしゃる割りに、(私と1にとっては)かなり困った場所だったので(もちろん、幼稚園にとっても私たちはこまりものにまちがいない) 、
(その幼稚園の先生がどうかなんて、モンテッソーリというひとのあずかり知らぬことではあろうけど)

「何とか教育」妄信みたいなものには 私はかなり懐疑的(自分が妄信しやすいタイプであるから特に)。



因みに、天才児を育てるというドーマン博士の何とかというのも、教材(当時全部買うと100万以上、わたしは部分的に14万円分を)かって ちょこっとやったことがあるし、

別の、多言語何とかというのもやったことがある(教材20万)。

だんなはそういうのは 「やめとけ金の無駄」というタイプである。


それは全部、1の障害がわかる前の話なんだけど、どんだけ熱心(=良いカモ)なんだよと自分に突っ込みを入れたくなるが、それは単なる私の好奇心を満足させたかっただけで、
その間「1号が」なにが必要としてるかなんて 全然みてやらなくて
かわいそうなことをしたと思う。


でもそれぞれに、ちょこっとづつ、ためになる点はあったとは思う。
が、何十万円分はないな!というのが私の感想。

自閉症児の訓練とか療育にも、何十万というのは結構あるが、
人手とコストがかかるというのはわからんでもないけど、わたしは 今の1号の状態には高価な療育は No thank youという感じである。(もちろん、必要な時は 利用すると思う。子供の状態も、周りの人の考え方も、さまざまである。)



シュタイナーに戻って、ざっと読んでみると、

かなり面白いと思う部分と、

なんか おまじない的でついていけない部分とある。

普通のお子さんの学校も、芸術とか自然とか実習とか体験中心のようだし、知識を詰め込むとか勉強しなさい!ってプレッシャーをかけないとこのようである。
それは良いなあと思う。

障害のある子供たちの学校もあるらしい。

障害についてのべてある部分を引用:(この本を書いてる人はシュタイナー本人ではなく、紹介してるひと)
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身体が完全さに恵まれず
心に障害があっても
自我には何の障害もない
むしろ、この人生で高い発展を遂げるべく降りてきた自我のために
障害のあるからだと心に向けて
特別手厚い配慮をしよう

障害児教育者には、普通教育者以上の力量が要求される

************以上引用オワリ。部分的に要約しています***

ということらしい。

ふむ。普通のことをするにも、普通以上の努力がいる人たちがいるのは事実なので、
それを配慮しましょうというのはわかる気がする。

それは障害のあるなしだけじゃなく、

困ってるひと、お年寄り、言葉がわからない人たち(外国の人、帰国した日本人など)、いろいろ同じようにいえると思うんだけど。