性格は習慣である?

「3歳で、ぼくは路上に捨てられた」という本を読んだ。

かなり以前だったので記憶があいまいですが、、、。
ある青年の自叙伝で、、、彼は幼いころ母に捨てられ、父も暴力的で顔が変わるほど殴られ、本人も暴力問題にまみれてしまうのですが、ボクシングが強くなったことと 周りの人との関係がよくなっていって 徐々に充実した穏やかな人生を…というものだったと思います。

語句を詳しく覚えていないのですが、
あ!そうだなと思った内容が本の中にあったので

それは、「僕は暴力を振るうとき、きっと脳からアドレナリンか何かが出て陶酔状態になった、するとその行動が癖になってしまって繰り返すし、もっともっと強い刺激が欲しくなるんだ。
暴力の癖は、親から教えられたことだと思うので、もしも僕が親になったら、いいことをしてほめることでアドレナリンが出るようにしてあげたい。」
ということが書かれていたと思います。

あ〜

そうだなあ、

ほめられたり、あ!わかった!という経験が癖になるか、
しかられたりなじられたりするのがわかってても その原因行動がやめられなくなったり
するなあ、、、

と思ったのでした。

私の生家は、面白くて自由な家ではあったのですが、すぐにみんなが怒るし、協力とか連携ができないメンバーだった。
何か誰かが言うと誰かが即座に否定、それから人格攻撃が始まるのが毎日続くのだった。
若いころ母に一度、「もっとお父さんと穏やかに協調できないのか」真剣に尋ねたことがあるんだけど、
「自分はハラハラするのが楽しい。穏やかなんてつまらない。私はこれを変えるつもりはない」趣旨の事を言われた。あ〜わざとやっていたんだ。

思春期にはきっと私も母を全否定するようなことを何年も言ったんだと思う。(今でも一触即発である)

ほかのメンバーに対しても、まぜっかえすのは母だ。人に石を投げながら逃げる感じ。
それが彼女なりの愛情とかそういうものなんだろうか??


私も、そういうわけで、家族を持ったり結婚をしたりというのは
自分には無理だし、家族なんて実家でこりごりだと思っていたのですが、

幸い相手が辛抱強く、なにか問題があったときにも
絶対に私をなじらずに味方をしてくれたので、
私はゆっくり、相手がだんなのときに限り、コミュニケーションや話を聞くこと、人格は否定せずに行動に異議を申すこと、などを学んだような気がする。

なので子供たちにも、不安定が楽しいことだとかの癖をつけたくないし、
悪さをしたときほど 私が気にかけるようになると、気を引くためだけに悪さをする、その癖がついてしまうんじゃないかと思っている。

いいときは「当たり前だわ」と見過ごしがちだけど、いいときを捕まえてほめ、悪いことを強化しないようにしたい(と思う)

子供は大きくなるにつれ、自分でその強化ができるようになるだろう。

自分は自分で、これはいいと思う人のいい行動を見習わせてもらいたいなと思っている。
足の引っ張り合いとかひどい陰口の人たちに 自分の思考も合わせないで済ませたい。付き合う相手を選べる場合は、ね、、、。