なぜ「障害があります」といえないの?考察

私が直接そう聞かれたわけではなくて、
別の話から たまたま、そういう話題になったときのことを参考にして書きます。

たとえばの話なので、実際の出来事ではありません。フィクションです。

たとえば。



新入生や、転入生で、保護者会などで最初の挨拶の機会があるとき。


「○ともうします、よろしくお願いいたします」

とかやるあれ。


そのときにはそういう みなと同じような挨拶(名前、よろしくだけ)をして、普通学級に在籍し、


実はあとから、
○さんに、いろんな問題行動が 頻繁におこって、

そういう行動について見識がある人から見たら、(たぶん何らかの障害があるみたい?でも、聞けないし)

そういう見識が無い人からは、「迷惑」「あの子には近づいたらいけない」「うちの子に悪い影響が」ということになったりする、らしい。


指導者にも、そういう子を扱った経験がなかったり、困った子という扱いを受けることもあるらしい。
そういう時は たぶん、力でおさえつけようということになるんだけど、
そうすると反発がひどくなって悪循環になることも。


Aさん「でも、保護者はそう(たとえば○○障害がありますと)言わないのはなぜ?
言ってくれたら、ほかの保護者も、ああ、そういう障害なんだ、わざとやってるわけではなく、サポートが必要なお子さんなんだとわかるのに、
言ってくれないと、普通の子にしては問題の多い子といわれて、
その子も 責められたりしてかわいそうかもよ」


Aさんは、障害のあるお子さんは居ない。
でも、障害のある子供たちにも、気さくによく接してくださるし、私から見たら、頼りになるいい人である。1号は、Aさんにとてもなついている。

私も、普通学級にいる障害があるお子さんのお母さんに対して、
(子供さん、苦労してるなあ)(この指導者の方、ガンガン怒るより、あの子に伝わるようにするような いい方法があるかもしれないのになあ)(おかあさん、言ってくれたら協力できることがあるのになあ)と思ったことがあるので、
Aさんのおっしゃることにも同意できる。

ここからは私の個人の考えなのですが、

普通の子達に混ぜてもらう際に、「うちの子には○○障害があります」といえない理由:

医療機関などで診断されていないので あるいは微妙な度合いなので
○○障害ですと はっきりいえない 障害の境界は微妙。
(たとえば、ADHDのような傾向もあり、自閉的な傾向もあるけど どちらともつかないとか)
さまざまな理由で診断されてない人は結構いらっしゃるようです。診断を受けるまでに 予約できたとして診察までに半年待つということも聞いたことがあります。
児童相談所などでも、相談はできるけど、親が、「うちの子は○障害があるんですか?」と聞いても、濁されることが(私が聞いただけでもいくつも)あるらしい。
診断はできないとか、断定を避けているのでしょうか??わからないです。なので、行動に問題がある、本人が何か非常に困っている、周りとうまく行かない、でも障害名がわからないからいえない場合は結構あるみたいです。(うちは幸い縁あって診断をしてもらいました)


※その○○障害という名称に、いいイメージがなさそう
(却って 言うことで 誤解を受けそう)と思われる場合
障害のことが、正しく伝わることはまず期待できない

(障害を持った子が居る保護者でも、ほかのこの障害を理解しないことはよくみられる)

( ダウン症 知的障害 ADHD 学習障害 高機能自閉症 広汎性発達障害 アスペルガー症候群
などといってみても、それが何のことをさすのか、どれがどう違うのか
わからない人がほとんどだと思う)

※本人の保護者が、まだ、障害だと認識していない場合
(この場合は 親も悩んだり迷ったり 不安が大きかったりする)

※子供たちが その名称をつかって、該当の子供をからかうと思われる場合(障害がある子でも、自分の障害名を知ってる子ばかりでは ないのです。とくに本人には言わないでいいとか、兄弟がいじめで苦しんで欲しくないと思ってる保護者も居ますので)


※親たちが、「障害がある」子と、自分の子を近づけたがらないと(障害のある子を持つ親が)思ってしまう場合

そういう経験(排除される、いじめられる、いわれのない中傷までされる)はあちこちで経験するので、(たとえば「知的障害がある」というと、どうせ自分の招いたこと=近親結婚だろうとか、アルコールや、薬物やタバコ、高齢出産のせいだろうと決め付けられたり、いうのを(面と向かって言わなくても、伝聞などで)みききしました)

そういう場合(いきなり 場違いな中傷やきつい言葉を向けられる)をあらかじめ警戒してなくては 身が持たないのです。

※宗教や政治団体が食いついてくるのが経験上わかっている場合

※保護者が、あくまで、普通の子として扱って欲しい
(普通のお子さんと同じ土俵に居たい)とおもう場合

(障害があるというと、「じゃあ特殊学級に行けばいいのに」「養護学校があるじゃない」「何で普通学級に居るわけ」という保護者が居るんです。それはそれで自由な感想を持つのは自由ですが、特殊学級にも受け入れや定員と言うのもあるみたいです。
希望していても 実際には、人員や設備の都合などで、行けない場合も多々、あるわけです。)


※いくら説明しても、迷惑、他人事と思う人、興味のない人や、聞きたくない人には
耳に届かない


もっとあるかもしれませんが、、、

こう考えると、その集団にどういう方がいるかわからない時点で、
先に、
「うちの子にはこんな障害があって」というのはかなりリスキーかもしれない。

たとえば同じ困った行為を 別べつの子がしても、

「ほら、やっぱり障害のある子はね」

といわれるのか、

「そんなこともよくあるよね、うちの子もやったわ」

といわれるのか、、、



自己紹介をして、障害の話をヒトコト述べた後、
「こちらこそ、
親子ともどもよろしくね」
といってもらった(障害ある子もない子も同じだよ、という扱いをしてもらえた)ことは、私は1度しかありません。

逆に そういう反応をしてもらえる予想がなかったので、びっくりして返事ができないくらい うれしかったです。


自分は、ですが、障害の名称はまったく出さずに(理解のある人には意外と通じるので)、
「(実際問題として)こういうことをする子です、(が、いいところも付け加えておき)言葉が伝わりにくいので、ゆっくりになりますが いいことと悪いことを教えて行きたいので、
何かありましたらご遠慮されず連絡をいただけるとありがたいです」

みたいな紹介をしてました。

それで、理解のある人たちともお知り合いになれたし、
詳しく聞きたいといってくる人には話せるし、
実はうちの子も、、親戚の子が、、、。という人ともお近づきになった。

ただ宗教や政治がらみの人が家にご来訪、と言うありがたくないおまけもやはり頻繁にあったのだった。
そして、「○○をしたら、発達障害が直った!」なんていうビラをもらったりして、心波立つわけです。


1号は、そもそも特殊学級に居るので、なんとなく、同じ土俵で勝負していないので、
「そういう子なんだ」と思ってもらえるし、特殊学級の先生は、「普通学級のクラス会でも、挨拶して、軽く事情を説明したほうがいいかもよ、あなたが、イヤでなければ」という助言をする先生もいらっしゃいました。

(最初はかなり緊張、抵抗、不安はありました)そこは子供たちも先生たちも、障害に慣れている環境で、差別派が少ないと思われるので 言ったほうがよかったと あとで思いました。

でもそれは後でわかることで、最初はわからないんですね。

私はですが、病院や、何かのグループの指導者のかたには、
「こちらの意図が通じない場合もある」と納得した上で、
子供の特性や、予想される行動(慣れるのに時間がかかりますとか、こういう行動は障害由来のものですとか、器具を使う場合にヒトコト説明していただくほうが協力的になりますとか)、伝えておく(時にはメモで。伝言で伝わらないときがあるので、)ほうがいいのでは、と思います。

習い事や、何かのグループに入れてもらうときは、指導者と思われる、直接担当する方に、あらかじめ「こういう子です」と説明した上で、もし、断られたら、(そこへは行かないほうが子供のためだったのかもね)とあきらめています。

これまで障害理由で なにかを断られたことはないのですが、
排除しようとする場所、理解がない環境には「行かないほうがよほどよかった」という経験は
ありました。(障害に理解がありますと自ら謳う場所で 職員の無理解でひどい目にあったことも2度ほどあります)

理解のある人は、そういう感じの人とつながっていることが多いので、
いやな目に遭う場所からは離れて、
いい人とのつながりを大事にするのがいいと、私は思います。

でも、そういう私の姿勢を、「あなたはいやなことからすぐ逃げて、いいところを探して移動するけど、今いる場所で戦って いい物に変えていく努力はしないの?」といわれたこともありますので、難しいところです。
確かに、いい環境というのは、前の人たちが努力して築いたものなんですよね、、、。