ちょっと思ったこと

自分で思っただけのことなので、どのおうちにも当てはまることではないので誤解なき様…

うちは、最初の子に、発達の遅れと自閉症があったわけだけど、

抱っこしたら反り返っていやがる、歌を歌ってやれば耳をふさぐ、絵本を読んだら逃げる、おもちゃで一緒にあそぼうとしたら盗られまいとおもちゃを触らせてくれない、

こういう子だったので、

なんとなく「そういうものなんだな」と、ただ同じ家に一緒に居るだけで、外に出るときも手をつながせてもらえず
こどもは一定距離を保ってついてくる(多動などがなかったし用心深い子だったからそれで済んだ)

なんとなく、ここにいるけどここにいない子だった。気に入らないときだけ癇癪を起すので、その地雷だけ踏まなければよかった。

ほかの子供たちともかかわりたがらない(公園にだれかがいると、入らない)ので、おもちゃの取り合いとかおす叩くなどの問題もほぼなかった。。

楽に手がかからず、その分、こちらも子供にそんなに煩わされなかった気がする。


ふた昔くらい前、「自閉症の子は親がつめたいからそうなった」という説が主流だったらしく
、子どもに愛情があるのに拒否される、同じ体験を子供と共有できない、やりきれないのにそう(愛情不足のせいと)言われるお母さんお父さん方は怒りや辛さがあったと思う。

でも私の場合は、一人目の子がこういう風に、人と関わりたくない子で、こちらも「子供ってそういう風なんだな「意外と楽」」と思ってしまっていたので、
逆に母性が育たなかったし、もちろん子供も、親に愛着が育たなかったのではないか…?と思う。


1号が7,8歳ころに、中程度の地震があり、たまたま家には珍しく、1号と旦那としかいなくて、1号が部屋を飛び出してきて旦那に抱きついたらしい。
旦那はとてもうれしく、「1号が自分を頼ってくれた」と思ったそうです。
今でもよくその話をするので、よほどうれしかったんだと思います。

そのころから、旦那は父性爆発というか、子供たちに本当にストレートに愛情を示している。
もともと、赤ちゃんの頃から、1号を抱っこしたり肩車したり、マッサージみたいにさすってあげたりは(自主的に)していたけれど。

通じ合う心の交流、みたいなものがないと、おやこ、お互いに愛情が育ちにくいのではないか?と私は思っている。

2号が生まれつき、すごく愛情あふれる、愛情を求める子だったので、私は数年戸惑ったくらいで…

3号も4号も、私が何をしてい様が邪魔して自分を見てほしがるし、抱っこを喜んでくれるし、絵本も歌も下手でもうれしがってくれる、うれしがられると、かわいいな、もっとやってあげたいと思うもので…

友達とも、対等に付き合うので、玉にはいじわるしたりされたり、先生に「mさん、ちょっと・・・」と呼び止められることもある…
これは面倒だけども、このおかげで子供たちも、人付き合いを学んでいるから、必要なことなんですね(もちろん子供が悪いことをしたら、先生に謝ったり相手の親御さんに謝ったり子どもを注意したりと、面倒が発生するわけですが)

上に普通のお子さんがいる場合は、下の子が(障害のせいで)「関わってこない」「なぜ?」と違和感を持つのかもしれないけど、私は全然違和感がなかった…(私も、人とかかわるのが苦手で面倒なせいかもしれない)


4号が、1歳半を過ぎ、私の足にしがみついてきたり、頭を(わざと)こつんとぶつけてきたり、人間らしくなってきたので…