療育を受けてない自閉症と知的障害ありの1の現在

1号20代半ば。

幼稚園の年長の後半で障害がわかったので、療育(当時は小学校入学前まで)や支援を5回程度しか受けていない。本人もいやがったし。2週間に1回で先生もコロコロかわるし、本人も幼稚園でいじめられ先生からも辛く当たられてたので、人が嫌いだったんだと思う。療育の教室から先生を追い出したりもした。私は色々聞きたいこともあったしこんなにできてなかったのかと思いしるきかいにもなったし、療育はもっと早く行けてたら❗️と後悔しきりだったのだ。療育に早くから行けてるおやこさんは情緒が安定してて、お世話になることにもなれてる感じがして。2歳半からオカシイオカシイと思ってたのに様子見でいいでしょうといわれたのを真に受けすぎた。

日本での3歳検診を受けた直後に

アメリカに二年行ったので、ほかの同年代と成長を比べ会う機会も余りなかった。

アメリカでも、「この子はこの子のペースで成長するから問題ない」と言われて真に受けてしまった。

 

5歳で帰国して6歳の誕生日に自閉症の診断は大学病院で受けたが

支援には繋げてもらえないとのこと(当時は、です)。

 

最近は、障害と診断されてなくても、療育や相談や預かってもらえるところがまようくらいいっぱいあるなんていいなあ、自分は痛恨のミスをおかしてしまった、と思っていたが。

 

療育によるメリットもあれば、実はデメリットもあると言うTwitterをみて、あそれなら療育はほぼ行かなかった1のその後どうなったか、の話も需要ある?と思ったので。

幼稚園でひどいいじめにあい、大学病院で診断を受けて、行ける小学校がないために、引っ越し、療育はほぼ受けずに知的障害の特別支援クラスにと言う判定が出て、え、自閉症じゃないの?知的障害もあるの?と療育手帳もとり、中学でも引っ越し、今度は情緒特別支援クラスに入った。成績は普通学級でもビリではないくらい。100点中の15点くらい。もっととれない人でも知的障害ではないのはなぜ?違いはなに?と思ったりした。平均点以上とれてる知的障害のこもみた。

 

その後も、交流先の普通学級で、いやがらせにあい(本人にもきっかけはあったと思います)、命に関わるほどの怪我をして入院、本人の希望もあって、「もう障害のある人として、理解のある専用の居場所に行きたい、交流も嫌だ」と、特別支援学校の高等部に入った。高等と言っても授業内容は小3くらい。これでいいの?と正直思ったが、よかったらしい。

その後職場実習を経てフルタイムパートタイマーから、5年勤めて正社員になったらしい。預金もこつこつためて通院なども自分で予約して、手術の予約とか付き添いだけ、本人が頼んできたら、親がしている。預金の管理も本人。療育手帳も本人のみで更新している。相談事は、精神科医産業医、小児科医などを本人が選んで通院している。緊急の時は有給使っていくらしい。

休日も選挙も一人で行っている。「幸福を実現する党にいれてきたよ!」と言ったりもするが。選挙広報なども読んで本人なりの選択だからいいのだ。

 

能力や気質に制限はあるが、

 

主体的には生きてると思う。

 

指示に従うのは会社だけ、ときめているっぽい